ベーコンとデヴィッド・リンチ、というよりむしろNさん

三名とも実在の人物で、一人は名声を博した画家であり、一人は治安の悪いフィラデルフィアで映画スタジオに籠もって感覚の変容について作品を作り、やはり世界的に名声を博しているかと思うのだが、Nさんもやはり実在の人物の気がする(という事を実感を持って感じとるのが難しいという事はあっても)。地価のせいもあって日本で一番精神病院のベッド数が多く、宗教と大学組織の拠点になっているというのは、フィラデルフィアと同じ位治安が芳しくない場所のような気もするし(黙示録にその教会の名前がある場所としての印象から。Nさんの拠点の場の芳しくなさは、遥か以前に都市論の中である種の遷都として論じられているが)、ベーコンのアトリエの写真を見てNさんの住む場所の状況が重なった。何らかの暴力的な状況から、荒れ放題に荒れているその場所にはおばあさんも住んでいて、あまりアートとか映画は関係ないような気もしたのだが。宗派のはらむ暴力性と折り合わないのでそうある他ないというのが可哀想なのと、本当のところアート業界のポストだの批評的な枠が特定学閥か何かに分配されたせいで、潰しがきかなくなったのが酷い状況の遠因になっているように思える。加えて脳だの心身に対する無媒介の暴力性というのが額面通り存在するなら(脳科学の悪用か電磁波か知らないが)、ベーコンの絵を美術館で観るのもよいがNさんの生存環境をどうにか顧みる必要があると思うのだが(Nさんはマイブリッヂの写真に起源を持つ映画の機材について、そこそこ以上専門的な知見を持ってるはずである)ベーコンはベーコンで当然美術館で観る価値のあるもので、暴力的手段で崩壊しつつある生活の方が(社会的リアリスムのような意味で)何か喚起させるというつもりはないのだが、何故この状態が放置されてるか理解に苦しむ。そしてあからさまに宗教がかった媒体に論説を振りまいて収入を得ている数名を切り崩して、Nさんのような人に原稿を書かせないと全く公平と言えない気がするのだが。 ♪
茂木健一郎にしろ他の創価学会系列のクリエイターにしろ、自分で特に創造的なプロセスを持ち合わせず他人からの略取と盗用が仕事なのだとしたら、その点害毒でしかなくまともなクリエイターの生活を圧迫している訳であり、Nさんがまともなクリエイターかは分からないが、その宗派から嫌がらせされ続けながら存在してるという意味では別に無意味な人生ではないような気がする。新興宗教シンパがエッセイだの論壇誌むけの批評をそのシンパに都合のいい話ばかりで埋めるという形式になっていなければ、映画論の本一冊位持つことが出来たのだろうし(振り返ると私もベーコン論位一冊書けそうだけど)、日本に総体として主権があるか以前に、個人としてその程度の事は言っていいように思えた。
ナショナリスムは晦渋なのでよく分からないにしろ、犬と特定民族を重ねるのだって十分レイシストの表出なのだし、民族性がイヤな以上に個人として気持ち悪いだけなのだが、つくづく呪ったり取りついたり(?)するのなら80年代に2、30代だった人を的にすればいいでしょと思う。
全く気持ちの悪いおっさんどもとしか言えない。(特に衛生上問題ありそうなので、訳知りに料理とかに関わるだけで公害に思う)樋口可南子という人のどうでもいいおばさん感というか、ブルーのセーラー服を着た五十年配の女性だなという感じもあわせてうざい為、民族の問題でなく忌避しているのだと思う。


大津のいじめと大して変わらない嫌がらせをもと大学組織の所属者が受けているような感じがあり、たまたまたがが外れたし新興宗教のネットワークを使ったもみ消しを図れていないため異様に思えるのだが、単に利権にとりいれなかった事がnさんの状態の一因でもあるなら、大津の事件位問題のように思う。nさんの奥さんお子さんの事を思っても(気の毒だ)、完璧な自業自得ではないようにも感じるのだが。