何となく

「AMOK」をようやっとリラックスして聴きつつ(季節的に今っぽい)。ぼんやりブルトン読みたいのはいくら滑稽でもブルトンの私家版が欲しいという事なのだろうという事と(日本語でも読みづらいのでそれは些末事が全部消失しないと無理だが)、ブルトン結構万事に暑苦しく(クールでもあるのだが)、それが読みたかった遠因なのだろうなという気に。予防拘禁なり拘禁の反措定という出来事があれば、それは暑苦しいというか熱中すべき考えなのだろうという気になる。謀られた精神病の収監が根拠を欠く事の立証なのだから、熱意があるのは当然かも知れないが(一貫して引きずってきた、精神科なり心療内科みたいなものに対する嫌悪感の事を思う)。
可愛いものを眺めたいと思いちょっと鯛車の写真を眺め、エンヤを聴く。