閑話休題


サラダにはと麦がかかっているのは流行りか
データマイニングとかに言及したくなく本来性の
希薄なことを思う。

赤かぶの薄切りがよい。

以前Microsoftの悪口意味なくないというような
事を書いたが、Mac使ってる人Appleの仕組みで
OfficeもWindowsのソフトも使える現況相当有難いんじゃないかと
思うのだが。
差異というより本当に存在論的な部分で何かがずれている
感じだけがあり、そのずれを生体に還元するような行為を
西欧哲学史的なものの見方はあんまり肯定しないような気がする。
技術論的にも何だか変な印象がある。
パスカルキニャールもそうだがシモンドンを読んでみられる状態にないのは痛いなぁという気になる。(単に発達したテクノロジーに対する屈託のない信頼感が欠けているときダメさを感じる気がして。そして、産業的資質から監視の対象になるというのは、いわゆる分裂病的な妄想体系と根本的に違う異文化間の軋轢のあらわれとして、結構頻繁に起こっている事なのではないかと。それを上手く描写する日本文学の系譜は何なのか知りたい(ニュー・ジャーナリスムのようなもの?)。
中井正一とてもいいなと思いながら、産業医というものに予防線を張る言説を抽出しようとしている。という事と関係なく仕事が気忙しくなるとしても、医者を抱き込めば病理も意識についての何らかの見解も作りだせるというのは、明らかに越権のように思えて、何が嫌かと言ってそんな下らない事で心身の具合を損ね得る仕組みが嫌。浅ましい気にしかならない。
リファレンスの違いという事を思う(分裂生成というのは、面白い事態でも趣味的に扱える事態でもなく、ただそういう過程に可能性を見たガタリのような人は臨床家として責任感があったように思う)。単に技術こう進のせいで心的現象と複雑性に向き合うような環境があるのと、体系自体が医療ミスというか医療的錯誤みたいな神経工学の実験的フェーズに巻き込まれるのは違う(クオリア理論は想定にどんな神経工学の裏付けがあるか全く開示されずオカルト化してる時点で、やっぱり変なのだしまず胡散臭いと思われてると認識すべきに思う)。
向こう10年大病なんかしてないのにセカンドオピニオンというのは傲慢かも知れないが、凄く売れた本があって脳を活性化させる方法について書いてあるため、その信憑に疑いを持つ人は全員洗脳して精神病あつかいする、という医者は存在しない方がよい気がするのだが(殆どそういう事を言いたいんだろうが)。実際は神経工学だの脳科学新興宗教と膠着してるリアリティなんか選びとって生きていないのに、そういう文脈から病者とみなされても分裂病の定義そのものがおかしいのだから、反証するリファレンスを措く必要がある。