蒸し暑い

からではないがエコカラットの資料を見たりひっくり返したりする。(表面が美味しそうな質感のものがよい)某所でピアスを買ったらば飴みたいな包装紙にくるんでくれたためちょっと機嫌がよかった。

運転をしながら考えてみればほのめかすというのもデータマイニングの一種であり(特定の宗派の場合俗で薄汚い独特のバイアスがある。符丁をつかうのも条件は同じで非最適化になるのかと思う)、元データが精神病の遺伝的条件に探り入れるものだったり(偏見から勝手に想定されたものも含む、というかそれしか含まない)人種についての揶揄の場合やはり人権上大問題の気がするため、俗さも含めてそちらを問題化すべきなのじゃないかという気がする(単に余計なお世話という事の気がするが)。綿密に広告的にプランニングされた人種憎悪というものがあるとして、私それと関わってないじゃんと冷笑する以外どうすればよいかよく解らない。


http://www.aozora.gr.jp/cards/001166/files/43711_18210.html

コンプレックスから覗きに走ったり他人に干渉するのはリサーチャーの仕事ではなく単に病んでるからで、当然工学的な意味も科学的な意義もないのではないか、という(習性に対する)懸念、というか怪訝さの感情。イヤなのはやっぱり科学的意義が希薄だからなのだという事を思う。ブレンダーノの志向性もキリスト教的なもので科学にとっては無意味かもしれないけど心情としては展性があるような気がするが、そうじゃない意識や脳の研究のうちある種のものは、ひたっすら気持ち悪くて解析や統計的な意義もない。