仕事しつつ何か拾い出しするのにランダム化もないから、暫く考えないでいいやと思う。でも解析とか情報処理とか、たぶんすごく大事で問題はその結果の部分に自我感を乗せてのびのび振る舞うモードが、すごく限定的にしか与えられない気になるところなのかと思う。20代で就職に失敗した場合解析してもしなくてもそんなの取るに足りないのだから自殺しなくていいと直感的に思う権限があるはずだが、それこそ当のデータが諦感のもとになって、というよりいい加減歳食った5、60代のクリエイターだとかが、改善の可能性に気付くデータを与えるより大声で自分の性愛の権利だの訳の解らない下ネタを無理押しするのにうるさく、ムッとすれば盗用したり強権発動し、そうこうしてるうち来年また同じように人が死んでしまうというような。データを与える方がせいぜい赤、黄、青位に物事を分類する気しかなく、それに嫌な顔すると憎悪犯罪に巻き込まれるとなると、やっぱりどうにかする必要があるんじゃないかと思うのだが。
同様に犬の汚物にギャーギャー言及する人間から食物や雑貨を買う必要がないのは解析しなくてもわかる気がするんだが、気味悪いので関わりたくないと思っていてもしつっこく絡んでくるのが特定宗教だと法で規制出来ないというのもいい加減改善して欲しい。

脳科学にしろえせ芸術行為にしろ、何一つ自分で発想していないのに瞬時に大声で説教モードみたいなのが凄い、と思う。
例えばフランシス・ベーコンは恐らく茂木健一郎なんかに論じさせなくとも、美大で淡々とベーコンならベーコンだけどうにかしようと思ってる人がおり見地を持っていそうだが何でいつも「脳科学的には」なのか。しかもそれに収入的に依存する立場の訳の解らない批評的見解が、結構見え透いた承認欲動だけで究極的にはベーコンと全く関係のない人間関係の調整みたいな事をしだすのは何でか、意味不明で寒気する。
単に感覚して居られることに比べたら脳科学などなんの意味もなく、医療的には意義がある研究ならまだしも、それこそ怪しげな脳科学的見地が(医療)統計的に見て精神疾患の外因になり得るという事はないんだろうか。というかもうこの時点で怪しげな脳科学者は精神鑑定を受けさせるべきと厳しく思ってる自分がおり、同時にシステムキッチンのL型でもコンパクトなの増えたなぁとか、本業の自明な進展に脳科学関係なさすぎて嫌な気分になる。分子生命学にしても神経工学にしてもちょっとの発展がうつ病者を何万人減らす、とかいうデータは意味があるはずなのだが(それは幅がありすぎるのでL型キッチンを断念しててもちょっとモジュールの小さいものが出たらありがちな空間に丁度のサイズだから売れるようになったとか言うのと同じで)、真逆な感じで他人に横柄な詐欺師の成金がのさばるのは明らかにどうかしてると思うのだが。

太宰治なんて嫌いだしあまり思いださないが急に「パンドラの箱
だけ読みたくなる,。「健康道場」とか好きな感じなのだが。