吉本隆明

は、別に思想家でも商人じゃないはずだし、取り立てて道徳的な感覚抜きにしても「わざわざ変なもの売れ」と言わなかったんじゃないかと思うのだが(いくら高度消費社会を肯定しようがしまいが)なんで売る事を突き詰めると変なものゴミになるものに行き着く一群があるのか不明。重層的非決定だか、特有の考え方の事を思う。なんかダウナーなのだ。実際は買い物する時に主体のなさだのポストモダン的な連続的態度の保留を問題にしてる人なんかまるでおらず(というかいつの時代の話)、かといって重層的決定も問題になってなくてミニマムな使い勝手の良さとか趣味判断に依ってる筈なのだが、そのごく普通の判断の層をコントロールしないと存在出来ない商品群があるという事なのかと思う。しかもコントロールに神経工学だの薬理だの絡むのであれば、それはしっかり周知する必要があるのではないかというような事を。

職場から帰りつつ感覚所与についてつらつらと。それこそそういうものがきれいに動いてるとき変なオカルトみたいなものについてはクリアに思う。。 ♪
重層的決定にしろ重層的非決定にしろ、症候群でしかなくてごく当たり前の市況とか購買行動と関係ないのだと思うのだが(大体居心地のよさとか寛いだ雰囲気にフロイト関係ない)、上手く言えない。それこそ自明性の問題なのだが。

自分と同じ球体関節人形居たら燃やすか捨てそうという気が。