グルジェフ

ルネ・ドーマルの「類推の山」を、まとまりのない楽天的な話だと思うのと同時に「らしい」と思ったが、この頃(とちょっと前)のグルジェフを信奉してた人って本当にグルジェフで身体が癒えてたのか謎(マンスフィールドとかも)。もう10年以上前にLA GRAND PRIEREを聴いた時に全く癒されなかった事を思いだすが、あれはニューエイジというかオルタナティブと言えばオルタナティブな気がして、とにかく新興宗教ならそれが抑圧的に君臨してもそういうものに人生封殺されるわけでないという一つの可能性だった気もする。
家に用意して聴くのに全くお金なんかかからない筈なのだが。MD録音だった事に気づく。

しかしYOUTUBEで確認しつつ改めて。シュタイナーのダンスの曲もそうだが和音か単音で出来たピアノの調べに合わせて心身を統合するセラピー、という考え方に上手く同調しないのは、日中様々な音楽の刺激に慣れていて器官がばかになっているからなんだろうか。だからこそ、もししっかりしつらえた処で聴くなり何なりで心身にかかった異様な規制を解除出来れば安上がりに思えるのだが(絶対音感のある友人がピアノの防音室でサティ弾いてくれた事を思い返すが、それこそ詐病でない症候と隣接しての事だった)。

コリン・ウィルソン的な考えの下で先入観がありまともに著作を読んでないが、人間の精神の電磁的な要素だの多元所属に対して奇特かつ、ある程度以上具体的なモデリングをしてた人なんだなという気がする。その為、もし電磁波で思考が盗聴されている、という言明があったとして、全部が全部統合失調症的なものだと見なす権限なぞないと言えるのだが、それこそこういうオルタナティブな思考に対する把持も含めて、客観的に見る事があまりにも禁止されてるのはどうしてか。

糸井重里の異様なしつこさと、他人の姻戚関係みたいな事柄に執拗に介入しようとする癖のおかしさから、濃密な精神的障害の気配を感じるのだが(宮沢りえに興味ないけど何だか以前に宮沢りえ絡みでそういう事をしようとしたとか、基本的に下衆で病的な人なのだと思うし人相が汚い)、某仏教系カルトの教祖の性癖もそうだけどそれこそちょっとでも多角的に物事捉えようとした時に、人の心理的成長を阻害すると言われるのってこういうたち(醜い風貌を含めて)の人なんだろうという気がする。
汚物がプランニングする手帳とか食品というのは本当に意味がないし、がらがらで通りの汚い声とか皮膚の汚そうな感じも全部本人がしてきた事の反映に思うのだが。パチンコ屋の取締役としての収入を全部被災地に寄付するとかなら分かるのだが、単に節税対策かなにかの為に気仙沼に会社作って支援のふりだけしてるように思える。その上被災地に稼いで貰いたい、みたいな言い種は、自分が受けた被害の事を差し引いても胡散臭くて歪んだおっさんとしか感じられないのだが。

色々思い出すと元気でつやつやしてきた。駅で美味しいものを買える事を学習したため弾けて帰る(マイヤーの鍋が楽しみ)。

http://m.youtube.com/watch?v=7kJFm8-g0Bg
Throwing musesはまあまあ涼しい。