大体

人為的に統合失調症の症候を作りだすって、もろに遺伝的な理由のある精神的な病についての偏見を助長するんじゃないかという気に。ドゥルーズにしろドゥルーズ=ガタリにしろそういう人為的な精神のパッケージ化には深く対立しただろうと思う。数年前に一度ニアミスしただけのクズみたいな人間なのに、迷惑掛けたおそうとする異常さにゾクッと来る。ドゥルーズ自体はまるでそんな事ないように思うというか、人格障害クラスタと全然違う気がするのだが。

構文能力みたいなものが失われない限り思考から何か喪われたことにならない。 ♪
糸井重里もそうなのだが、結局「気持ち悪い」「偽物」という自己規定があり、それが原因で他人の心象を害するのなら、人前に出たりもの売るような活動を一切やめればよいような気がする。少なくとも私はパーソナリティー障害の方に意味を見いだされてしつっこくされてる状況が気持ち悪いが、自分の感情は一貫性があって偽ではないし自分自身は気持ち悪くないのだが。

全身がバリバリに固まってゾクゾクするような状態から徐々に癒える。自分の健康が惜しい。


万世橋駅の話が素敵。Day's between station
エリクソンも読みたいなと思いながらさまざま取りまとめ。

酵素怖いというか酵素が内部から身体を蝕んでなければいいが、
全身がバリバリに固まってゾクゾクしつつ思考の流出を詩的言語で
表した一日後に凡庸なダイエットブログに堕ちていく所がよくわかんない
というか最初から無駄なプロセスが一つあるような気がしており、それが
カルトの嫌がらせという気がする。
    ♪
2011-02-05 ここでアーサー・ケストラーについて書いたが、
神経細胞の働きが量子力学や物理的にどう左右できるかなどという事は
日常気分よく、単に個人の記憶がそれらしく生きられている事に比べたら
大したことではなくて(翻って言えば脳に量子論的に課されてる限界など
というものを個人が引き受けるべきじゃなく)、それが人権感覚に全く
合ってなかったらそう伝えるべきなのだと思う。第一こういう事研究してた
ケストラーは自分の粗暴さ(というのは伝統哲学だの神学とのバランス感覚に
おいて)を切り回せずに最後自分の妻と薬物自殺したんじゃなかったんだろうか。
そういう雑な感じがイヤだからという理由で神経工学を忌避する人って潜在的
結構多い気がする。(チューリングジョン・ナッシュシュレーディンガー
なんか嫌い。コルビジェやライトやブルトンベンヤミンが言ってる事の中には
住めるような気がするが)
居住性の低い言説に気味の悪さを感じる。カントが言うような意味での想像力や
構想力もそうなのだが、人間に与えられた三軸が開けてなくて神経と物理反応
だけだったら昆虫と変わりがないのだが。
Wikipediaに「1967年に出版した『機械の中の幽霊(The Ghost in the Machine)』[5]では彼の発明による概念「ホロン」の提唱などで、ニューサイエンスムーブメントの発端となる。同著では、カール・ポパーの唱えた反証可能性を下敷きに生物学や心理学等における機械的観念論(還元主義)への批判を展開し、晩年は広範な学識を元に『偶然の本質』(1972)[6]に見られるように超常現象へ関心を寄せた。しかし、その意義について理解を寄せる者は決して多くはなかったようである。『機械の中の幽霊』でケストラーは様々な知的試みを展開するが、最終的な解決策としての薬物投与による人類の制御という提言については大きな疑問も残る。」

だから色々な事を書いていても壮絶二番煎じじゃんというか、みんな死んじゃうじゃないのという気がし、今日びこんな事をオルティネートと言わない気がするのだが(それがどんなカルト=超越論的な価値観や超常
現象やスピリチュアリスムに取り込まれていようが)。他人同士瞑想したりしつつふんわり生きてるノルウェーとかデンマークの人の方がよっぽどそれらしいんじゃないかという気がする。
…ここまで書いて変なスピリチュアリスムばばあ(というかお金とって人を占ってるのが何故か謎の人)からも付きまとわれてる事を思い出し、美容代とか全部請求してやりたい気に。ものすごいブスではないが
なんかメンタリティがやだこのばばあ、同性にしっつこく付きまとう精神状態がおかしいと思う。
5、60代の変な教化おたくおじさんは普通の女性でなく、そういうどうしょもない人に付きまとえばいいのにと思うのだが。

私が変なのではなく存在論的な部分でとち狂ってるものと関われないため、いつも困惑しながらその事を伝えてるだけなのだが。

バルトが書いてるような事以前に(つまり作者の死だとかそういう事以前に)どうしょもない他力本願というか、自分で何一つ発想もせず書けないのになし崩し的に盗用してまで存在しようという態度があり、そんなもの異常な甘えで現代思想の問題ではないというような事を。