アーサー・ケストラー

bobbinsmall2013-09-18

だけ読んでも結構いろんな事がわかるなと思う。慣習的に意識とそれがおかれた空間について思い込まされていることが。けど普通に過ごす事に比べたらそんな卓越なんてどれ程のものか全く分からない。

用事を済ませて歩きつつ自然主義の(小説技法としての)凄さみたいな事を。


ホームスターProを高かったのに買っており、今みたらオーロラ
というのがあるがカセットに互換性があるか調べる前に力尽きる。
部屋をちょうど良く設えて夜は内省して運動した後睡眠とる、
みたいな成熟は無いんだろうかという気に。
オーロラはオーロラで買わなきゃいけないんだ、でもいいな。

お前迷惑なんだよというのがボディーブロー的に届くには
どう伝えればいいか画策すると同時に、大体私の発想で他人を
養う理由は何も無いと思う。具体的な事ができない男をほんっと
毛嫌いしてるんだなという気に。(女性はみんなそうなのだが)

脳に量子論的に課されている限界を個人が引き受けるいわれはない
というのは至言に思え、大体度量衡がおかしいのよねと思う。
しかもそのおかしさを人間全般に役立つ動向に全く落とし込めて
おらず、ひたすらどうでもいい比喩を使い回すのみ。くだらない。


次に盗用されたら出版元に該当箇所を送付の上事情説明が一番効果的だなという気に。しかもなんの後ろ盾もプライドも持ちようない
ところから。あまりに頭が悪すぎるのと、小説論じる人間が
これだけ気持ち悪く、生きてる価値も無いのに嵩に着るとなると終わってるなと思う。40代半ばで仕事なく盗用でしかものが書けず、
人並みのことがなに一つ出来ない人間はその後一度も結婚出来ないだろうし、ゴミ以下の扱いしか受けられないという事が認識出来ないことの恐ろしさ。その宗教が後ろ盾だとその辺りの感覚がまるで
とち狂っていて恐怖を覚える。日本文学はほんとそんなものに引導を渡す必要がなかったのではないかと思うのだが。

電車の中でベンヤミンを読みながら、ロマン主義的な見地の批評であれなんでもやっぱり凄く含蓄あるなぁと思う。ベンヤミン魅力的で小説がよく読めた人だったのだ。だから世事というか単に生身の人間に対するこだわりや希求だけで自分の書いている事の骨子を歪め過ぎなかっただろうという気になる。

稲垣足穂の人間人形時代の装丁と同じような月。穴空いてるような。