気候は

良いのに体調がちりちりする。

資料確認しようにも、ほんと駒場が邪魔臭い。私に引き合いをかけるなら、まず内実のある契約をどうにかした上にして欲しい。そうしないとまともな仕事先に迷惑かかる。

一回確認しないといけないが田中先生何をしたいのと思う。何おかしいおばさんと異常な行動とってる女性を私の人間関係からTwitter上にさらしてるのか、まったく意味不明。
そこであげられてる人たち全員、私の生活のノゾキでなおかつ女だと思うと、ほんと気持ち悪すぎる。刺激物に飢えた汚い中高年とか風俗上がりと、なんで私が同列に
扱われないといけないのか。表象文化論科何に汚染されてるのというか、某女衒の女性の動向を見てるけど薬物絡みで人死んでるわよねと思う。
駒場居ても恐らく生計立てられず、私もしてる仕事との相乗効果があるなら講師や助手しても良いとは思うが、今までのところ何度も仕事の邪魔されたりレセプションの画像収集されたりロクなものじゃないのだが。その上、恐らく共同所有の風俗上がりは急に澁澤の話とか分かるものじゃなく、本質を求めてしつこくアクセスかけてくるのだが、普通に仕事しててそういうネタと同列に扱われるのも困るのよねという気がする。

私は恐らく同性の着てる服だの身につけてるものとか手の美しさを勝手に取り込んで模倣したり一度もしてないのだが、気持ちの悪い同調癖一体何なの、と思う。

よくこんな訳のわからない人が教授で居られるなと思うと、ほんとキモい。
汚物処理要員として外されかかってたりあからさま風俗上がりだったりする人間に対する食いつきの汚さすさまじいなという気に。それと比較で持ち上げようとした分、私の
まっとうさに対して慰謝料を払って欲しい。(まともなインテリア業界での仕事に比べると目が点になる汚物的なありよう。ノゾキの癖に建築業とかそれを論じるとか普通に終わってる気がする。完璧
ゴミなハウスメーカーの追客に一件クレームを入れる必要がある。暴力男なんだし
さすがにここまでキモいのはあまりなく、特にインテリアに触っていけない人たちの束という気がする。ノゾキやらかす人に家に入られるとか絶対ない)

澁澤龍彦は全く進歩史観に関心なく、未来的なイメージにも関心持たなかったらしいが、ただひとつホログラフィーだけは別で視覚優位性を留保するものだから気にいっていたらしい、という話を読んだ。未来派ファシズムについての制約とかで単に進歩的なだけの機械に興味ないのだが、悪いけど某家電メーカーとVR系列の実験何で私が的になっていて、なおかつなにも発見できてないの? と思う。人道上ヘンである以上に成果物がわかんない事が許し難い。
ベンヤミンとも共通するけど進歩史観的な進歩が人間を落雷のように打ってひたすら一方向に進歩させる、という事はなくて実際は留保と調律の連続なのに、そこショートカットされ過ぎという数年間の現実(私は仮想化してない)に対して、おじさんおばさんは驚くほど想像力も抽象能力も働かせない。
バシュラールもそうだがフランスの科学哲学史その辺りに解法、というか考え方を提示してそうで、切断について書かれたものを読む度思い起こさずに居られない。

最先端の技術というのはほぼ過去に最先端だった技術やその考えのアレゴリーとして読めてしまうもので、実際はその技術が適用される事とイマジナリーなもの、社会的な制約は隣接しあっている。あとやっぱり神学的な制約
だって必ずある訳で(量子力学キリスト教と切り離せないように)どちらにせよ合意形成なしに技術の被検体になる市民と、そこに作用するとってつけたような神学やカルトという形になったらテロを起こしたカルトの二の舞だわねという気がする。
茂木ほんっとにそのあたりの事をわかってない。そういうの嫌だからこそのベンヤミンバシュラールという気がする。

市内で打ち合わせを気分よく行いいろいろと作業。今保留になっている分、体調不良が大きかったとはいえ大変恐縮です。しっかり進めます、
             ♪
もともと特段のひねりもなく単に空港が好きなのだが、そこにいちいちいろいろ言及されるのも気持ち悪い。
内田樹もそうなんだけどその女衒の女性の客とかなのでしょうね、と思うのだが、仏文科の教員がそれでいいのかと思うし
意味不明にプロっぽい感じとかほんと気持ち悪い。なんなのこいつら、という感じがすごくある。しかも自分がなぜエントリ
されているかも不明。とにかく薄汚さ満載という気がする。
とにかくうっとおしいので数匹の共有物と私を混同してあれこれ言わないでほしいし、すごい汚ったなという感じ。
警察にも神戸女学院大学の教員で一人しつっこいのが居ると伝えてあるが、外見とかもほんとゾッとするくらい醜い。
仕事よこすのかと思ったらそういう訳ではなく、こんなの風俗上がりとかおばさんしか相手に出来るわけないでしょ
というキチガイに付きまとわれているという感覚。とにかく暴言を書いてでも私に関心持たないでもらいたい。
というか、自分の娘とか嫁に粘着すればいいでしょうと思い、そうじゃなく私に執着を見せるとことか
何考えてればこういうキチガイ老人になるのかという気に。道場開設とかもそうなのだが、なんか誤作動
してる人としか思えず、普通にフランス語教える先生もっとニュートラルでまともなのに、よりに
よって女子大が何故こいつを登用していたかまったく意味不明な気がする。

北海道産つぶらな子は野放図に転移しなければかわいいっぽい

バシュラールちゃんと読んでいくと面白い。

下世話さとコンプレックスもそうなのだが、4.50代女性は基本的に
ルックスが醜い。女衒女性もそうだが汚物処理慣れしてる事を
若い女に誇示するために男の猥談より全然きたない事いい散らかすし、インテリア業界そういう捨て駒ばかりではないので余計迷惑なのである。そして覗きの癖に人の家設えるなんて図々しくて出来ない筈だが、そういうまともなデリカシーが壊れてるという意味で男の性犯罪者よりいびつな感じする。

たニャか先生がいつになく呼んでくださりそうなので、ポストだと
何が貰えるんだろうと思う。お金は貰えるのか。建築のバイト駒場周辺でしてフランス語独学しながらかなと思う。今まで精神的自由が無かったがそれだけ確保出来れば仏語はすぐ使い物になる位には出来るはずと思う。
駒場で適当に懐いても怒らない方はこっそりmail下さい。
lotusimprint@gmail.com

仕事で作成している資料に、変に言及されるという事があると嫌なため、どのみち自分の内面を把握しようとする人に話をまともにつけに行く、というのは人としてしなくてはならない事という気がする。それにしても世間の一部の⒋5.60代でやっぱり納得行かないのは、本当に抽象的な事を考えるプロセス皆無で、業績とかだけをそのままパクりとって市場化しようという意識が過剰なところ。その一番はた迷惑な形が茂や内田樹のように、比較的有名人だったから回収出来にくかったというのが私の10年だった。
でも振り返ってみると、禄でもなかったがまだ取り返しのつかないくらい歳を重ねてる訳でも何でもないのは不思議なところで、しっかり回収しておかないといけないなと思う。(昨日も仕事しながら
同じような事を考えてしまった)。

バシュラールをちゃんと読んでいくと読み応えがあるだろうなと思う。

やまもといちろうは様子を見るだけの人で仕事をくれない。が、
何となく最終的に文字情報を流しているものもしっかりテキストサイトとしての意味合いがなければ何の意味もないというところになるように(勝手に)思っている。というか数名からそのように教えられた。

ベンヤミンバシュラールは、想像的資質かあって安定した愛着に基づく感覚を書いてる気がする(時代の制約からエクストリームだったということはあろうが)。それはユダヤ教に基づく審判の時、について書いていてもあまり変わらない。
それと全く別の(伝統神学から見て)ひたすらフリーキーというかフリークアウトしてる話、当たり前の愛着感からみるとくどいというか何かとぐじゃぐじゃし過ぎ、と思う。

人間はいきなり出会う必要もなく、単に読んだ本の感想を言ったりアンビエントに解釈する自由もある気がしており、シャトレ哲学史を読みたかった自分としてはごく静的に「動きすぎてはいけない」を読みたかったのだが、読みながら「本は外部に接続された機械だ」というD&Gの一節をとても思い出した。
殆ど実践的に読めてしまうように思える本。節々が身につまされる。特に「「ニーチェと哲学」における〈結婚存在論〉の脱構築」の、同性愛を含む色んな関係性を生産的なものにするインターナルな婚姻のイメージについては、実際望む望まないに関わらずそうしてつくられてるなという事を感じながら読んだ。
が、私の場合そこにもう少し特殊事情が関わっていて、ブルジョア婚(セレブ婚?)の媒介についての余計なお世話なのか温情のようなものが、なんか色々と外在的に機能している感じがあって全然落ち着いて読める感じではなかったのである。ああびっくりしたというか。
有り体に言って、一読者はある著作物(本に限らず)の作家を婚姻の対象と「考えてはいけない」。ごく淡々と日常的に生活していたらその必要もないだろうし、オブジェクトからそこまでの引きを感じてしまったらそれこそ病気だと思う。ボヴァリー夫人のお話以前にそういう生臭いのが嫌いなのだが、文化生産を通じてクラス感(嘘くさい)を創出してるつもりの機構からすると、逆に著作物に成果が伴う事の証として、ある著者に愛人あてがったりするということをこまめにしないとかたなしになるのかもしれず、それが老人だったりあからさまな成金だったりする場合やっぱり気持ち悪いのである。
例えば私は茂木健一郎内田樹の著作を読まないし買わないのだが、なんか毎日Twitterで絡まれてるし、それは時に不当に性愛的な色調を帯びているもので、こちらとしては心外なのだけどそれは何らかの婚姻的なみたてに基づいているような気がする。(実際に結婚するとかしないとかじゃなくて、イマジナリーな領域で愛人扱いされてたらどうしよー、的な)。
そしてラカンもそんな事書いてたような気がするのだけれど、ブルジョア婚の媒介とその破綻みたいなものって、なんだか結構広範に病跡学的な出来事の根源になっている気がし、必ずしも男女が病んでるんじゃなくて外在するメディウム自体が何か変な場合も多い気がするのである(わかりやすくいうとお見合いばばあみたいな事をする側に、だらしなくて過剰なはけ口系が居るとか)。中には純粋にそういう形式の舞台でしかないような場もあって、そこで暗躍したがるアラフィフ女性とかほんと気持ち悪い。 下品で失礼なおばさんだ、と思う。
そういう形式からクリアランスがとれるかたちで、仏文に関わる仕事ができるなら、楽なので是非アカポス欲しい。しかし人の持ち物を真似たりレズ振りしてくるのも含めて、それこそ破綻したブルジョワ婚の空虚な器としか思われてない気もするので、もしメリットを提示出来ないのなら人の人生を邪魔しないで欲しいように思うのである。

老人コピーライターが何か大人しい。仕事しながら心身調子悪いの調整し、汚い老人の煩悶で調子を損ねた部分は、絶対お金で回収したいと思う。

(昨晩)東さんを見習って身内にメールを送る。
流石に脳の奥の部分にダメージを受けた感じがあり、
漢方とか摂った方が良いかしらと思う。若年の女性のアビューズ
に窃視的に取り憑く老年者、というヴィオレッタとかバルテュス
みたいなテーマはシビアに嫌な感じする。