諜報と越権

(多分、自殺と外傷的経験という契機にこだわった
ことはないのだけれども)
 単にすごい悪意から、パウル・ツェランが自殺したのは
パリ警察の陰謀による迫害のせいだった、という小説を書こうとした
ことがある(それほど陰惨でなく、あるボリュームを保った世界が
セーヌ川の水面の下にもあって、購われるということをごくシンプル
に書けないかなぁと思っていた。それもある種の神秘主義だと
したら、それだけが神秘主義のようなかたちで)。


傷ついた生活裡。
 神経系の組成と、その外部にある迫害は実質上、分けられない。
彼の脳にあるものは、外側にも同じボリュームで展開されていた。
外界は、徹頭徹尾汚染されることによって景色の内部を支えようと
している。

 財閥も神もメディアも存在しないとしても、
諜報的手段は、いつもだれかに内在している。
でもそういうものに引き裂かれる義務があるかは分らない。
引き裂かれる義務なんてないからそこに、生活空間が〈在る〉
のだし、それはあるボリュームを持って、ひとがあるということ
の外傷的起源を消去している。そこで、私は自分の声を外部へ
過剰に読み込む事がない。私はヒステリー者として生成しない。
ただ初期衝動に従って、真っ当にファシズムの在処を言い当てる
ことはあるかもしれない。