ルネ・ジラールの凄さ/サイが・・・

ルネ・ジラールをちゃんと読みたいな。
私はヘーゲルを読めないけれど、ルネ・ジラール
リアルだと思いながら読む。それを意識し続けたら
確実に心理が揮発するくらいの根源的な暴力、外傷
性。ある宗派的な過剰さが、その後の世界を専らそれ
が反転したものとして受け取らせるという事。

 「心臓の恐ろしさ」と夏目漱石は書いた。
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 社会学のばっちさ。
 20代前半の「社会学かぶれ」の人と出会い損ねたことがある。
 脳が社会学(の学律というか越権SM)に汚染されていなかった200
0年代初めのことだ(仏文の人だった)。
(男性だったが、何の色っぽい話でもなく、ただ単にまるで会話が
成立しなくて、互いの差異の中に無限に互いの異和の感触が挿しはさまれて
いき、最後微妙に身体と眼がズレあって終わるという、何かラカンぽい状況
だったというだけの話なのだけれども)。
 もうとにかく、一貫して他人とコミュニケーションを取る時に、銀行の
貸しはがしみたいに強権的に負債感を与えてきて、こちらが「はぁ?」と思って
いると、自己完結的に「ま、僕が思うに〜は〜ですから」みたいな台詞で
しめるのだ。間主観性みたいなものがボロ布状態になり、見た感じそんなに
悪くないのに、「何この人、息苦しいなぁ」という印象だけが残る。
 そんなに自意識で何もかもを中心化して生きていないでしょ、と、その時
思った。
 単に文体に影響されてるだけの人でそれだけ面倒なのだから、社会学かぶれ
の人が、色々理由をつけて得体の知れないものを口に入れたうえ人権侵害
をしているのだとしたら、植草教授みたいにちゃんと国策逮捕でつかまえて欲
しいと思う(手鏡より気持ち悪い)。というか、三島由紀夫みたいに汚物感の
ある死に方したら面白いかなぁと思う。
 少なくともそういうのを「先生」と呼ばなくても全然いいはずだ。