時宜にかなった解答がなされない時

時宜にかなった解答がなされない時、そこには
ヒステリーがある。決して解答なんて出ない事柄
に対する取り組み(の、形骸化)。取り込まれても
感染してもいけない。
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 ある種の企業や学律の、〈穢れ〉に対する執拗なこだわり
が全面化する過程について、よく考える。
 正直言って気持ち悪い、と思う。その気持ちの悪さ
には、明らかに「気持ちの悪い主観」が作用している。それは
精神分析的な手続きを経てしか名指し得ないものだ。それは
宗派性に塗れていて、対象を同じものの中に執拗に巻き込む。
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 (6月13日 補)

 「精密な空想ー諸科学の内部にきちんととどまっており、ただ
これら諸科学の配置のもつ極めて些細な諸特性(むろんこれは、
空想が根源的に、かつおのれ自身から生み出さねばならないもの
なのだが)においてのみ、諸科学を超え出るような空想」(T・アドルノ

 そういうものがあるかどうかはわからない(単純な語彙に還元
出来ないことはたしかかな、と思う)。僭越に還元する手法があると
したら、それは(表向きの振る舞いとは別に)単なる還元的手法に
しか収斂していかないような解答のみ、手にすることと思う。
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 それでもって。
 そういう還元的な手法が苛まれる超越性(というか、オカルト)
がこの世で一番最悪なものなのだ。
http://hp1.cyberstation.ne.jp/aoura/
このタロットのサイトで占いをした事があるのだが(全く
当たりもしなかった)
 こういうものの半主体・半超越性的なコメントは、ひとの
どんな感覚に根ざしているのかなぁと思うと、少し悩んだあと
背筋がすーっと冷たくなってくる。