福祉国家化が剥奪する四肢的思考

 「ある人間の身体からすべてを切り落としてみよ。両腕、両足、鼻、
両耳をそぎ落としてみよ。その時彼の自尊心と威厳がどれほど残って
いるかを見てみよ。こうした概念が身体の通常で正常な状態にどれだ
け依存しているかを我々は知らないのだ。引かれたなら、こうした概念
はどのようになるだろうか。1人の人間の中のどれだけが、それでも尚
残り続けるのか? こうした人間はどんな状態へと沈んでゆくのか? 
自分たちがたかく切り立った崖っぷちに立ち、自分たちの周りを深淵
が取り囲み、その中では全てが違って見えるということを我々は知らない」
ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記)
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 テクニカルに四肢性の基底が取り押されられる事態を想定することが出来る。
そこで人の身体は、この世界でポピュラーな表出(それは殆どなぐさめでもある)
を放棄して、多くの場合、精神分裂病(統合性失調)の普遍症候群と同じ語彙を
口にするだろう。けれど、その語彙に堕する前に、ただの人の脳が四肢性に基づいて
感得していることの、世界に対する圧倒的な優位を書くべきなのだ。それが解放なら、
それは時代をまたがって色々な方法でなされてきたし、これからもそうでしかない。