小説は唯

 広告と小説が張り合わせられて裏箔がまるで無くなる
 個人が個人として機能しなくなることの享楽
 そういう事を考える以前に、本当に切実に、
 小説の価値が、神学によってゼロになる事態みたいな
 事を考えていた。
 多分、読んだものに従って幾らでも書けるだろう、詩とか
 小説(次から次へと書きたい)。でも一つ、主体という文
字を射出している輪っかが、
 私には機能しないことがある。(だから、
 この書き掛けの小説は、欠けた輪みたいな部分をなかなか
 付け足す事が出来ない。思いつきは凄く子供じみたままで止ま
 っている)

 小説のうち、ある種のものは本当にただでもいい、と思う。
 私はずっと、クリエイティウ゛ィティみたいな事柄に
 対する憎悪がきつい。何故その場で単なる具体性が生きてくる様子を
 思い浮かべられないのだろう。(実際に何も生産されていないからだと
感じて、すぐにひどく辛い、嫌な気持ちになることがある)
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 愛の人工衛星

 「青春小説」を、妄想すれすれのちょっと複雑な設定から始めることにしよう。も
うこの時点で半ばふてくされているのだけれど、気にしない。どんな年代の人間にも、
ひとしく言うべきことはある。それは人間の屑鉄化みたいなことがらについてだ。色
々なことが全て1サイクル終わった後に、ひどい事態と過去の言葉だけが潤沢に残さ
れる。そういう時人が選び取れるのは、いくら無様にみえてもその言葉を組み替えて、
自分の現状を語ってみることだけだ。大抵の人は「それはもう何年も前に終わった事
だろ」みたいに言うかもしれないし、「全く意味不明だ」みたいに言うかもしれない。
でもそれが強いられているということの他に、僕らが発語することなんてあるだろうか?

 2035年に、一般的な日本人は、「護国代理店」によるイメージ統制下で生きている。
このひとたちのすることと言えば、「対外的に」まだ日本と言う国にはオーセンティック
なところがありますよ、みたいなイメージを造りだすことだった。それはストレスフルな
仕事で、休日がなかった。大抵の接待は経費で落とせたけれど、愛がなかった(正確に言
えば日めくりカレンダーのように豊潤に訪れた)。で、歩いていてのんびりした一角を見
つけると、つい、まだ手つかずの「愛の領土」があるような気がして腹をたててしまう。
何としてでも、その不明瞭な場所を領土化したい。国を護る代理店の人達には、不明瞭で
奥行きのあるものが何となく苦しいのだ(谷崎潤一郎の「陰影礼賛」とか、そこそこ食い
つきがいのあるイメージにまとめることができれば、そうでもないのだけれど)。
 なにぶん有能な人達なので、怒るだけではなくてそののんびりした一角を、経済特区
することを決めた。コンセプトは「いつまでも、若い都市」。その人達は決断すると行動
に移すのがきわめて速い。2年くらい経つとその場所は「若者」で居ることがとめどもな
く赦される経済特区になった。若者は安い賃金しか貰えないかわりに、過去の若々しさの
資産を全部食いつぶして生きていた。皆悩んでいたけれども、その悩みは縦割りにすると
微妙に相似形をしていた(理由は後述する)。
 若者で居ることが赦される経済特区には、神経症を癒すために色んな人が訪れる。とに
かく色々なものがあった。小さいベトナム料理やとか、小物を売っている店とか、一握り
水の底からさらってきたような、心もとない魚のかたちのオブジェとか。芝居するところ
や、喫茶店とライブハウスの兼用みたいなところとかが、勝手にその店やものの論理で動
いていた。
 なんか素敵な町なのだけれど、この町にはその実、護国代理店の人達が色をつけてやろ
うとして口説きかけ、結果的にはぶっこわしてしまった女の子どもが沢山収容されていて、
みんな何となく若々しかった。そう、奇妙に若々しかった。
 若々しいのは、ある種のサイバーパンクな「人体実験」のお陰でー特にアンチ・エイジン
グに関わるそれが、世界一発展したのがこの「経済特区」だったーどれもこれもえげつない
年代史なのである。はさみを入れるみたいな整形手術を施された身体の皮が、川縁に脱いだ
靴下みたいに並べてあって、汚かったりもした。実を言うと、経済特区は、そういう実験の
地区でもあるのだった。聴きたいとしても、聴いた後きっと、後悔するような。
 で、護国代理店の人達が経費で飛ばした「愛の人工衛星」が空からこの町の一角を監視
していて、てこてこと常若の国から逃げようとしたり、パンクが足りてなかったりする人
が居ないか、じっと視てるのだった。
 そんな町で、みんな何となく若々しかった。浮ついて若々しかった。
 
 僕はそういう場所に生まれて育った第一番目の世代で、護国代理店の人達のする人体
実験を、結構間近でぼーっと視ていた。
 まあよくやるよ、という感じ。そんな事に使ったら、科学技術さえも単なる疑似科学
失墜するだろ、みたいな事柄が、DNAの二重構造みたいに無限連鎖して起きていた。思考
盗聴はデフォルトだった。思考盗聴は変な言葉だし「デフォルト」も変な言葉なんだけれ
ど、ともかくもそういう事だった。
 国内が帝国主義的に再領土化されてから育ったという意味では実験精神に溢れている
とか、静かな狂気に満ちているとか、そんな文言を代理店の人達はやがて著書に記すこ
とになるかもしれない。そんなのはすごく、嫌なのだけれど。
 
 「それはあんたの妻じゃないか!」とか僕は叫び、それが見事なまでに携帯電話
のCMに使えそうな(なんかそういう、奥行きを欠いたぺったりした)感じだった。
 
その時、僕は本当にひとが「されるがまま」になるということをみた。母さんは緑色の
パイピングのついたクリーム色のワンピースを着ていて、その袖は少しふくらんでくる
みボタンがついていた。母さんは大体いつも疲れているのだけれど、その来客が自分の
着ている服を脱がしにかかった時、不自然なほどぼんやりしていて、しかも客越しに親
父と目を合わせると一瞬悲しそうにし、自分からそうっと、背中のファスナを下げた。
細い腕とピンク色のスカラップのついたブラジャーが見え、腕についた予防注射の跡が
見えた。来客はその予防注射の跡にしばらく歯を立てていたが、ブラジャーのストラッ
プを肩から滑り落とすと、胸に顔を埋めて残りのワンピースを全部身体からむしり取っ
た。母さんはいつも通り、底にひとかけらだけ澄み切ったもの(「文化」の受容体だ)
を秘めたどんよりした感じで、されるがままになっていた。
 それからはものすごくもみくちゃで、猫の子か何かをレイプしたとしたら、こうな
るかもしれない、と思わせる、人間性から剥離した景色だった。とにかく一筋縄の破
壊ではなくて、来客は母さんの身体から、母さんの固有性と結びついた記憶的なもの
を、ありったけ抽出しようとしているように見えた。強烈な苦痛の悲鳴を僕は聴いた。
それは何だか、自分自身のものでもあるように聴こえるんだった。
 僕と母さんは、とてもよく似ている。この地区にはジェネレーション・ギャップと
いうものが原則的に存在しないので(みんな均一のイメージ再分配で統制されている
ので、当たり前といえばそうなんだけれど)、よく一緒に歩いていると、双子のよう
に思われた。母さんの髪は元々薄茶色で、ちょっと縮れている。僕の髪もそれと一緒
だけれど、縮れているところが好きじゃないので、短く刈り込んである。それだけだ
った。
 なのに目の前の母さんは、来客から凌辱されて段々と、あの核みたいなものをなく
して、あとは自分を揺り動かすものを全部抱きしめ、目を半分開いていた。ぎゅっと
抱え込んでいた。唇の端から一筋、つーっと桃色の唾液が流れ、唇が塞がれるとあと、
息をするのは身体全体だけで、不思議な植物のように身体を波打たせていた。くぐも
った途切れがちの声が、カーペット全体に滲み渡っていく。それは段々と充実し、柔
らかい承認みたいな響きを帯びていった。茶色い髪に挿していたセルロイドの黄色い
カーネーションがもげ落ち、髪が豊かに、殆ど空間のすべてを包み込むように広がっ
た。すごく素敵だった。
 すべてが女という一つの広がりの中で起きている出来事だった。そこには、何もか
もがあった。
 「それが侵略ということなんですねぇ」と、髪を治しながら母さんは言った。
 「それを受け入れることによって訪れる飛躍的な個人の上昇を、どうとらえるべき
なんでしょうか」
 で、香水のようにくすりとわらって、「あんたの父さんはね、つまり突出した「個
人」でありたいと思いながら挫折してるので、境界をかき乱したりなんかしてるのです」
 
 それは、ある意味オーセンティックな景色だった。何となく、この国が過度に若々しかった頃のことを思い出させた。例えて言えば、1968年の表象=再現前化みたいなもんだった。
 68年は今からするとかなり前なのだけれど、大体1975年くらいから市場価値が上がり、今では額の中に入れられて、不老不死の妙薬みたいに右脳に盛られるのだ。
 僕は泪でどんどんふくらむ視界の隅のほうで、親父がネタ帳みたいなものにその景色の詳細を書き込むのをぼんやりと捉えた。彼はそれまでそうだったように、苛立ってせわしなげにしていて、スチールのフレームの奥の目玉が飛び出そうだった。大体彼は、自分の欲求とか欲動よりも〈経済原則〉を先に立たせるすべに長けていて、そういう人特有のどんよりしているのにぎらぎらしているような、独特の顔つきをしていた。
 もしこの親父を乗り越える時には、オイディプスみたいにしてではなくて、単にカエルかなにかを溝か便所に流すみたいにしたい、僕はそんな風に思った。

 その晩、親父も母さんを抱いた(よくは解らないけれど、「追認」するみたいな精密
な抱き方だったと、僕は想像する。それは筋道が立っているというか、敵が行った領土化の手法を生身の人間から抽出するみたいな感じだ)。
 そういうところが、この仕事に携わる人の「よく解らない」ところだった。何をしたいのだろう。愛を確かめたいのか、それ以外のものの偏在を確かめたいのか。多分両方なのだろう。
 親父はイメージを生産する仕事場に戻る過程で、

 もし勝ち上がりたかったら、俺と同じくらいぶっ壊れろ。
 もしそれが出来ないのなら、この場所で母さんと同じようにお客さんを取って暮らせ。

 と捨て台詞を吐いた(ばかやろう!)

 気づくと泪が、子守唄みたいに流れていた。身体の内側に刺さる泪。
 その中をくぐって、夜はやってくる。その事にはあまり、変わりない。
 で、小さいオレンジ色のさしかけがついた窓の中に、母さんと一緒に寝そべりながら、
僕は藍色の空を見上げた。
 母さんは小さい声で、「愛の人工衛星が視てるよう、撃ち落とそうか」と言い、いつものように年齢不詳の笑い方をして、すぐに眠りについてしまった。あと一ヶ月もすると、テレビのCMで一人の頑な少女が、何もかもを承認して宇宙規模に己の愛を拡大し、敵を受け入れ、多くの他の少女から自分を固有のものとして分ち、名付け治すみたいなひどく緩慢なCMが、テレビでながれることだろう(SF仕立てにして、コンピュータのプロモーションに使われる。死物の称揚)。
 僕はその時、大きい月と僕たちの小さい部屋の間に(それから、僕の意識のありとあらゆるところに)、屑鉄状の悲しみみたいなものがぎっしり詰まっているのを感じた。そう、過去の歴史が身体の中で反復される時に大量に廃棄される、屑鉄みたいな悲しみ。それは赤錆のにおいをさせて、やがて僕のそこら中から滴り落ちた。
 そして僕は母さんを犯すことにした。
 背中には唾液で、自分の名前を書いてから。