つられてニコニコ

bobbinsmall2007-07-11

 生きてる作家に会いたいと、滅多に思う事がない。
(もう居ない作家の家とか墓所に出かけていくことはあり、
 カフカの家を見つけるまでカフカの事ばっかり考えていた。
何であんな作品を書いたかすごくよくわかり、あとは住みな
れた場所を出て一間の場所に移りたいという気持ちも、住む
通りの名前が「錬金術通り」であることもよく解り、嬉しかった)。
 
 でも今日は文筆活動を行っている方の講演を聴きに行く。途中
からしか聴けなかったのだけれども、自分が中井正一に痛いほど
感じていたアクチュアリティの正体や、思考と現勢化について考
える事が出来てすごく満足する。ニコニコと話されるので、つら
れてニコニコしてしまった。
*
 二次制作(あとはパクリ)という感覚が分らないかわりに、
「同じもの」を焦点をずらして
書きたいという気持ちがいつも過剰で、だからパサージュ論と「同じもの」
を書く、というのは、つくづく馬鹿の発想だと思う。
                 *
 その馬鹿さ加減を源泉にしてしか、前に進まなかったものがあるな、
というのが私の感慨で、肌理を丸ごと潰す同期性みたいなものに
対して、ものすごい嫌悪感を感じる(その嫌悪感には、享楽的なものが
混ざらないでもないけれど、基本的には生理的にイヤな感じとしか言い
ようがない)。


 例えば、以前身も蓋もなく「宗教儀礼の中で、何を口に入れている
か分らないような人に対して気持ちの悪さを感じる」と書いたけれども、
この感慨は自分の感覚の深いところに根付いていて、そういうカニバリス
ティックな次元から何かを汲み上げなければいけない人を、どうしても
おぞましいし不幸だとと思ってしまう。
 で、当のおぞましさに惑溺しているひとが、その事以外に、何らかの
解決なり(単なる日常性への)ポジティヴな布置を持ち合わせていないと
したら(客観的に見てもそうだとしたら)、そのひとは一度徹底的に呆れ
られるべきではないかなぁ、と感じる。