傲岸な話
視像化された人の意識の基底の言葉や形象が、全部他者の中にある、というのは
エロティシズムとか緊張を孕む関係だけれども・・・と書いて、
何だかじぶんが、そういう骨がらみの内的なモードと関係のない哲学を、単に造
れないかなと考えていたことを思い出した。
昇華のうちに起源が忘れ去られるようなものと言うか。
何でそういうことを考えるのかはよく解らないが、たぶん未だにそう造られているものも
少なくないからだなと感じる。
単に自然と同じボリュームで動く
意識とか、ただの憧れとか、ないと変じゃないのか
というより、何でそれで平気なんだろうな、と異様に長い時間思い続けていた。
le corps est triste! の後 全然足りてない。