監視のモデル
単に嫌なものとして。
「フーコーも右です」かどうかは知らないけれど、やっぱりすごく
考えさせられることがあるパノプティコン。
本当は依然として、監視されるのは「性犯罪者の男」ではなく、
一旦ターゲットにされた目的物とか、獲物状のものであるのに、
社会学はそのレベルを隠蔽しようとするし、その技術に言及しないこと
が別の隠蔽を呼び込んでいて、結局何も解決されていない、と思う。
それで印象操作だけは(本質的に起こっていることに触れずに)
薄っぺらく続いていく。
*
ウィーンの病理学博物館は、もともと精神病院として使われていた場所
で、あまり時間がとれず中をよく観ることが出来なかったのだけれど、やっぱり
何となく異質なところという感じがした。
パンフレットを買いながら、こうして病理的側面とか、精神的な異質
性を展示しておきたいと思うことは俗なことなんんだなぁと、ちょっとがっかり
したし、そういう欲動が個人の内部に及ぶことを、妄想だと思う理由なんてまるで
ない、と感じる。
けれど好事でもヒステリーの換金的作用でもないような、何か新しい綜合綱領で、
なおかつ精神に根ざしているものが、そういう欲動自体の内に顕われるのか、私に
はよくわからない。
同等のオブセッション(ネットストーカーも含む)で、思考が外傷化する憂き目に
あう人はこれからも沢山いるだろうから、私は精神病院に入るより、そういうモデル
そのものがどう押し付けられるかに言及しようと思う。