強烈な絶望感について

 痛みの小箱

 思い起こせば今は
 昨日 夢うつつで
 河を下った時間
 目覚めていないから
 まだ
 部屋のなかがびしょぬれ



 冷たい水を含んだ風が
 わたしの頬を撫でる
 新しい類型の到来に
 世界はこんなにもむせび泣く
 この部屋は痛みの小箱
 


 こんな河に 
 魚も棲まないけれど
 わたし一人が
 抜き手を切って泳ぐ



 天国

 天国よ
 あなたの
 氷の腕に抱かれて
 今 目覚めるのは
 いい気持ち



 ここから眺める
 粘土じみた町に
 私は小声でききましょう
 眠ったままここを
 出る事ができるのか

 

 風の正体を見きわめる
 


 一つのリンゴの大きさを測る
 精確に



 ああ この世は月だと思いながら
 上を向くと 冷たい涙が
 目の奥に流れる
 わたしは何度も気づくでしょう
 頭痛こそ天国だと


 天国よ あなたは
 わたしが世界に対して
 練り上げた
 些末ないいわけ
 些末ないいわけ、
 それだけ

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 ノートの詩を読んでいたらしっかり書き込まれていた絶望感は、神学的なものに対する
嫌悪感から来た語彙が大きい。このときディキンソンをちゃんと読んでたか怪しいけれど、今
そういうものからの衝迫を具体的に受け取った後に書く詩より、しっかりディキンソン風に
書けてるかもしれないなぁと思う。

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 こういうノート、あと何冊あるだろう。