ブライアン・ウィルソン/神のみぞ知る?

 一度聴き始めると、ずーっと繰り返し聴いてしまう。いい曲ばっかり。
 思わず衝動買いで「イマジネーション」を購入する。何となく(なんでだろう)ウルフの
海も、ブライアン?ウィルソンの海もつながってるような気がする。これが生きてることだ、
と思わせる強烈な屈託のなさ。多くの人はこの境地に至る前にどうでもいいことで心理の芯
を停滞させるだけのように思える。その停滞に社会学と、他の家のノイズの持ち込みとか、社会学特有の
楽園の禁止が絡んでいるのは間違いのないことで、そういうものに見つけられないで生きること
しか本当は教えるべきじゃないんじゃないかなと思う事がある。
 今精神的にめちゃくちゃになる事を(宗教的要請から)強いられている人が、早晩回復して、
くだらないものを心底軽蔑する権利を持つとよいなぁと思う(狂ったあとでも癒えることの正当性
に比べたら、ひとのこと感覚的に軟禁状態にして意識の謎が解けるとか思う事のほうが救いようも
なく狂ってるでしょと思う)。




 子供の頃に、親から廉価版の洋盤CDを買うお金を貰っており、ビーチボーイズを買いに行った
ことがある。その後他の曲を聞き出すとどうでも良くなってしまったのだけれど(ファルセット
が好きでなかった)、人の晴れやかな構造は、一旦壊されても残るという気がする。
 そこまで言うのは僭越かもしれないけれど、意識の領域についての探究が遅れて問題になって
いるのも、ウエストコースト的なものと関係がある気がして、そこでは本当は(富だの名声だの
マスゲームだのの)大文脈の方が、小文脈に解消されるように思える。
 
 6月27日に書いた伝達状態の一定している相について、もうすこし思い浮かべてみたいけれど
難しい。