集積回路

 単に「集積回路」というものに対して、昨日の私ほど
ロマンチックに考えてた人間は他に居ないんじゃないか、
と思う(何かが累積しているところ、というのは、何でも
悩ましい感じだと思うけれども、そこを通る情動がどう短絡
したり引き伸ばされたりしてこのディメンションが現れるのか、
みたいな事を思い浮かべていた)。

 そういう事柄はみんな、詩や小説になり得る。そのとき私自身は
空位の座でしかない。

・・・と書いてから、原理研男(京都在住)のブログを見る。また
ほのめかし。本当にキモイ。しつこいし態度からなにから
ものすごく不潔っぽい(徹頭徹尾自分がいかに無能かみたいな事を
書いているのだけれども、確かにこんなのから教わる事なんて何も
ないなと思う)。
 社会学者が思考についての実験を内輪や身内で出来ないのは、端的に
それが依存しているものが根ぐされしているからだ、とつくづく思う(依りしろとか
そういう言葉を使っていかがわしいカルト的な増強をするのもそうだけれど)。