PTSDと薬物中毒

 ある人の逮捕のニュースを知ってつくづくと。
 「他者の思考の解体」と中毒、サブカルのモードが奥で
どう引き合ってるのかは解らない(すぐに可視化はできない)。
けれどたぶん、自家中毒が他人の脳をオブジェクトとして捉えている
領域があって、本当はそれが展開されてしまうことが、意識についての
立体的な把持や把握を困難にするのだと思う。
 本当はヘルムホルツが書くみたいに、それでも意識は、中を何が貫通しても
同程度の導管として作用するものなのだろうが、そう把握しない脳のほうがより
人間性にとって)本然で、本然がほつれた部分が、異様だったり現実に対して
傷ついているのかもしれない。

 先の病院で、充分経緯を話した上で「私は多分PTSDだ」と言った。
PTSDは殺人とかレイプとかの場合にしか使わない」と言われたが、次の日に
やっぱり怪しいと思っている人のブログに、PTSDについて書かれていて、心底
気分が悪くなった。こういう専横は、全面化したら害毒しかもたらさないもの
なのに、何故重宝がられているのか、私には全く理解出来ない。

 植草甚一の「即興と衝突」に、70年代の代替ドラッグについて書かれている
項があって、「カジュアルな意識変容」に結びつけて(文献的に)書けるかなと
思っていたけれど、多分それに自我系統の縦軸が作用する話(オカルトとか、自意識過剰
自傷行為とか)が、私の心理で一番賄いづらいもので、やめた経緯がある。