科学知へのアクセス性

使える現象学を移動しながら読む。10年前に、現象学についてしっかり読もうと思ったらとてつもない量があるなぁ、と思っていた事を思い出す。生活世界と自明性を読む人に赦そうとする現象学は、こざっぱりしてて誠実な印象が強くて、あれこれ他人の事を干渉しないと前に進めないオカルト化した科学とか社会学より、アクセス性がいいなと感じる。(自己意識とか生活それ自体の流れに都度立ち返れない「意識の研究」なんて、妙で昂ったものでしかない)。
自分がいかに科学知に対する疎通を欠いてるか、なんとなく解る。
微積分とか量子力学が分かればここまで空しい思いをしないで済んだかも知れないけれど、そういうものがジャーゴンまみれで実のところ何やってるか解らない、という事も含めて、まるで信用出来ない。

「使える現象学」は2006年の本だけれども、私は心底、メディア内部で持ち上げられている人にだけ意識過程が存在するかのような錯覚を解除する「意識についての本」が沢山出版されるといいと思う。