ワルツと不死

寒くなくなったせいで手がとまっていた事が段々まともに出来てくる(といっても、単に家のなかの雑事が大半)。「ペット?サウンズ」は立ち寄った駅の本屋で売り切れ。(多分明日にはどこかで購入する予定)。最近やりかけになってしまった事柄を1から再開する必要を感じる。特に5年の間に凄く声が荒れてしまったので、まともにお腹から声が出るようにしなければいけないなと感じる。
(もう四年近く前、まともなボリュームで喋っていたら、訳もなく女性の上司に恫喝されてしまい、間欠的に失語になるという物凄く嫌な経験をした。私は昔から発声がきれいに出来ていると言われる事が多かったので、意地でしっかり喋っているのだけれど、本調子までまだ数歩、、、というのが、ブライアン?ウィルソンが痛切な理由の一つ)

必要から電車を使って移動していて、鉄道マニアみたいな人って偉いなと感じる事がある。(沿線の把握が瞬時に出来れば、自分が生きて移動して、その間も世界が動いている、っていう実感が湧くように思う)


ワルツの流れのなかの、少し音のこもる部分に不死性が宿っている。水に潜らせた金の網みたいに新しい夢の視像が迷いこむ、場所の、明るいたゆみ。

ブログを最初から読み、あまりにもポスト構造主義後の主体生成とメディア、思考と脳についての面白い記録なので、実名の部分をイニシャルにして公表する事にします。
(イニシャルにするのは、単に売名行為と思われたくないからです)