逃げ道を断って、1日二時間

今度は陳腐という言葉に反応してる、、、Mさんだけれども、話が噛み合ってない。というか私が陳腐だと思うのは自明性を排除してかかる「特殊な」思想のほうで、それは科学だろうと人文科学だろうと関係ない。
私はつくづく思うのだけれど、意識についての探求があるとして、1日二三時間以上やる必要なんて全くないでしょう。二十四時間そんな事ばっかり考えてる奴なんて馬鹿に決まっている気がする。 本当に科学者なんだったら、月の土地でも買い占めて疎外論者の楽園でも造れば、興行の仕上げとして面白いのになと思う。

生理的にダメなんです、という感じは、つくづく哲学より大きい。

そんなつもりはまるで無かったのだけれど、たまたま「変なこと書いてるとやだな」と思い、めくり読みした「カントの批判哲学」に書いてあった一文。(私の言いたい事は、これに尽きる)
「カントはしばしば、道徳法則には繊細な推論は必要ないのであって、それは理性の最もよくある、ありふれた使用法に依拠しているという事に注意を促している。悟性の行使でさえ、如何なる予備的な訓練も、「科学も哲学も」前提していない」。

そういう言い方に対する反道徳主義に引き当てられている表現の圧倒的な寒さ、キモさってあるなぁと思う。