msnのトピックスと総研

下の日記に書いた詐欺師のブログを読んでいると、頻繁にmsnのトピックスとかぶっていて、同時にMさんの(経済的に)追いかけているものも被っているので、あぁ、気持ち悪いなぁ、と思う。経済オタクというか、もの凄くドロドロした感じ。シンクタンク(といっても、質も実態も色々なんだろうし、その人の関わりは悪い評判も多いと思うが)の方法とか広告理論を何もかもに適応しなくてもよいのでは、、、と感じる。
という事を含め、「怪しい」と思った事を皆身内に伝える。大層な使命を掲げていても、そういうスタンスの会社が、人の信頼関係とか安心感を腐らせるんだと思う。

原理研的なものと、最近はサブカルに対して、ものすごい嫌悪感、無駄なものだという意識がある。そういうものの煮詰まっていてどうしょもない領域に、自分からアクセスする事はない(単に時間のムダだし、基本的に仕事をよいこと、ましなことだと思えるのは、下らない思い込みで動かないで済む所なので、仕事の傍ら濃密な「表現」をしたいとはまるで思わない。思うがままに書いたり、感じる、という事はあるにしても、ごく普通の現実感のよさに相反する感覚ははなから持つことがない)。
94年頃の「小劇団ブーム」の時、その頃の自分に出せるお金の範囲で、スズナリとか本田劇場に出掛けていったが(スズナリでは天井桟敷の「ある家族の血の起源」を見たのを鮮明に覚えている)
小劇場的ドロドロ感の持ち越されている日常に拘る事さえなければ、大抵の事は上手く行くような気がする。
普通に気分よく流れている意識に対して拘束感を与える点では、原理研もある種の表現も、あまり変わりがないし、表現がらみで食い詰めて、原理研的な所を出入りしてる人も多いだろうなと思うと、アングラはゴミでしかないような気がする(そういう界隈の人間関係にとらわれて、今だにオウムを賛美するような感覚と、例えばポスト?ドゥルーズ的な解釈や、新しい感覚についての研究というものは、全く別なものであって欲しい、と思う)。
そういう界隈の人間関係から、無理にこちらの生活に触られた場合、それまで知人であっても基本的には法で処罰される事を望む。(現に、私は女性フォーラムという所に、通信関係にさわってくる新手のストーカーの被害にあったこと、根本にあるのは企業と癒着した摂理とかと同等な団体だと思っていること、それから訳の解らない思い入れだけで、弱者であることに自閉的に固執する人間だけを全面的に擁護するのを止めて欲しいと伝えてある)。