抑圧されることの神経学

用事があって九段下まで出かける途中、再度「カントの批判哲学」をめくり読みする。 「差異と反復」、「プルーストシーニュ」「カントの批判哲学」の、理解可能な感じに比べると、「アンチ?オイディプス」と「ミル?プラトー」は圧倒的に難しい、という感じが、今となってはする。

統合失調症が脳自体の問題に還元される過程に触れられていないからだ、と思う。上手く表現出来ないのだけれど、分裂病圏の妄想に対するグローバルな抑圧というものがあり、薬理的手段や予防拘禁も含まれている。
それは妄想ではなく、ある種の帰結であり、当の抑圧を受けている人(や、ある種の集合)は、各自が抱えている問題以上の神経的制裁を加えられている。
人間がおもちゃのようにロボトミーされる話とか、外的な要因で思考ががらっと変えられてしまう話に対する馴染みが薄いだけで、実際はヒトの精神操作という出来事から実入りを得たい団体は多く存在するし、それ自体がありふれた妄念に突き動かされているのだけれど、「それで?」という感じしかしないのは、結局そういうプロジェクトが単体で何かくっきりした定理を掴むところまで至っていないからなのだろう。