川田亜子さんという方/アネット・メサジェ展

 テレビを全然見ないので(嫌いなので)、
インターネットのトピックスで見るまで、名前も顔も知らなかったのだけれども。

 川田亜子さんというアナウンサーの方が、自殺されたという記事を読む。
 この方に何があったかはよくわからないが、私が書いている「現象学的還元によって気持ちの
不調を乗り越える」みたいなことって、こういう目にあってる人のためにあるんだなと思う。
 本来なら、人の心理領域に起きることなんて、利権と物理的制約でがんじがらめになるべきでは
ないのだけれど、メディアと価値判断基準の創出の操作のあざとさの中でぼろぼろにされて、しかも
そのぼろぼろにされる方法に対しての言及がすぐ封じられるような状況だったとしても、自殺したり
この世から消えることなんてまったくないと思う。しおらしい古文の引用とか、苦しさの吐露とか絶対駄目。
(私が心底おぞましいと思う、広告屋的な自己犠牲の強請ってこういうことだ。本当に、そういう
頭のおかしい奴の方が先に死ねばいいのに、と思う)。
 今、そういう犯罪を取り締まったり、正当に罰する方法はありませんが、もし同じような目にあってる
女性が居るとして(もしこのブログを読むことがあるとして)、どうか自分の頭なんて疑わずに、やりた
いこととか、感じたいことを、単に自分のものとして感じ取ってください。女の病理に依存しないともの
が書けなかったり、精神的に立ち行かなくなったりする人間なんて、最初から犬の糞以下の存在なんですから。
 

 そんなことを思うと同時に、よそから導入した思想の下んない濫用と、メディア内の詐病の渦にたいして、
改めてどうにかすべきなんじゃないかと感じた。(特に、「統合性失調」という病気に対するタームの変化は、
日本が一番汚らしいんじゃないだろうか。ドゥルーズガタリも、都合のよい読み替えで詐病まみれにされる
ことなんて望んでいなかったのでは、と思う。「概念の創造」という言葉が今もまだ有効だとして、それは
結構精密に、過去に書かれたもの、あり方に即したものではないか、と思う)。

 「主体の回帰」ではなくて、「自明性の復権」を唱えたい。他人から理不尽に合い欠きを入れられなが
らも、現実に自分が何も損なわれていないものとして、居ること、語ること。

                        ♪
 八月から森美術館で、アネット?メサジェの展覧会が開かれることを知る。
アネット?メサジェくらいまともになりたい。

 名前を挙げてもいいや、と思う。私は茂木健一郎さんと宮台信司さんが心底嫌いで、この二人の記述と
自分の生活がかぶると、正直言ってこんな人達が担っている程度の「エリート主義」なんて、何も解明
しないと思って、苛々する。
 広告代理店周りにアホほど居る、自己顕示欲の塊みたいな女をいくら引き裂いても勝手だけれど、
今後私の生活に一切関心を持たないでほしいし、こちらの書いたことに覆いかぶせるようにして、似たような
話題をブログに書くのもやめてほしい。
 私はもともと、アカデミズム内の学律と全く無縁な所でしか感じたり考えたりしていないし、思想かぶれの
ゼミ生か何かを潰すのに使った制裁と同じようなことを、なんで私にまでしてくるのよと思う。
 この人達から臭ってくるもの、全てが僭越でごみごみしていて、単に退嬰じゃないの、と感じる。
 要は、子持ちの男の、自分より年が下の女への依存癖でしかないのだ。そんなもの(だけ)が、人の意識
というものを成り立たせてるわけでもなんでもないと感じる。
 大体「生活世界の空洞化」って何よ。
 そんなの生活世界を空洞化する性癖でしかないんじゃないかと思う(覗きグセが
あるとか、性的に過剰なのがそもそも社会学になんて興味のない人間への攻撃に
すりかわってるとか)。
 空洞化がイヤだというそぶりを一瞬でも見せたら、わけわかんない嫌がらせから
リリースしろよと思う。というか、思想なんて関係なく、普通は生活世界が空洞化
したらイヤだと思うのだけれど。そういう態度を世代の違う人間がとったら、すぐ
「自閉的」とか言われてしまうのも解せない。