行きがかり上

 ずっと気になって仕方のない質問について。
 双風舎さんという出版社さんのブログに載って
 いた記事(私は、未だにテーミスという雑誌が出版
されているということを知らず、素朴にびっくりしたの
だけれど)。

http://www.tanteifile.com/newswatch/2008/06/05_01/index.html

 茂木さんは、純粋に「意識」という領域を考えたい時に発せられる
質問に、まともに答えていないと思う。男性で発言権のある人同士の
妙な牽制を考え合わせても、ラカンについて一年答えることがないと
したら、「意識」について何を考えたいのか、よくわからない。
 というより、カリカチュアも含めた「知識人」だの「科学者」という人たち
が、無防備に原理権的な手法に依存しすぎで、「そちらの世界」に対してまと
もに言及できないだけなんだろうな、と思う。

 冷静に考えればメディアがオカルトまみれなのも、人が
宗派性を逃れられないのもあたりまえのことなんだけれど(私は
宗教が、一生わからない)、どうせ科学者なら宗派性と科学知の
弁別くらいまともにしてほしいと思う。
 それから、その気もないのにオカルトとかスピリチュアルとか、
そういう世界に巻き込まれたりしてる人の苦痛を少しは考えないと、
現象学をやってる人から、そのうち私が書いていることなんて比較に
ならないくらいのラディカルな批判が出るだろうと思う。
(で、私の希望としては、そういう人にノーベル賞をあげてほしい)。

 時間のあるときにぼんやり買い物に行ったり、喫茶店とかで
本を読みながら考え事したりしているときの、何でもなさの
中で色々なものが明確になる感じに比べたら、多分「主観性の
全肯定」とか「薔薇の薔薇らしさ」なんてどうでもよいことで、
そんな感覚まで抱き込んで「知の巨人ごっこ」みたいなことを
したいのだとすれば、なんか痛いなぁと思う(それに、多分茂木
さんはベイトソンも読んでいないだろうし、遅れて無尽蔵な病理
称揚に走って、しかも病的なのに気づいていないんだとすれば、
周りには病気の読者とお金の必要で焚きつける人しか集まって
こないだろうな、と感じる。それでいいような気がする。私とか
まっとうな感覚で生活する人とまるでかかわりがなければ)。

女性が女性から受ける盗撮被害について。面倒なのだけれど、何らかの形で言及したい(整形アディクトの人からプライヴァシーに言及されるのは、凄くラカン的で色々考えさせられた)