正気について

たまたま、数日前に以前の同僚に会い、元気に過ごしてますか?と聞かれる。
で、今日そのもと同僚と食事をしながら色々とつもる話をした。同僚とは建物の断熱材の敷き込みの仕事をした事があり、その仕事は自分にとってそれ以上の意味も以下の意味もなかったのだけれど、女性がする機会の少ない仕事なので、外野から過剰な意味づけをする事も出来たのかも知れない。
仕事に行く前、私は同僚のちょっと特徴のある外見について考えており、仕事が終わってからは、通りがかった映画館にかかる新しい映画と、通りみちの秋葉原にある幾つかのお店について、ごく他愛ない会話をしながら帰った。
その頃にはもう、自分の個人情報が制御のきかない形でどこかに晒されてる感じに、半ば傷つきながらも慣れていて、いちいち行動に言及してくるサイトのチェックも惰性ですることになっていた。
次の日の茂木さんの日記は、タイトルからして、私がぼんやり感じていた同僚の外見的特徴に関わりのあるものだった。
その場で同僚に、「茂木健一郎って知ってます?」と聞いて、私物のパソコンからアクセスしたサイトを見せ、色々と事情を説明した。同僚はその時、茂木さんを知らなかった。
その時の事を、今日思い出して、話す。
「あの時、オブラートにくるんだみたいな言い方でいきなりそういう話をされたから、なんかちょっと変な感じがしたけれど、今日みたいに筋道たてて話されると全然変な感じしないし、大体○○さん(私の名前)、見てて普通の人だなって感じしかしないから大丈夫だよ」
「あと、相手が何であろうとそういう人に関わっちゃダメ。いくらテレビに出てようと知らない人は知らないし関係ないと思いたければそれでやっていけるから、サイトを見るのも意識するのもダメだね」
という、もと同僚の意見はまともで客観性があり、私はほっとすると同時に、尚更嫌がらせの決着をタイトに金銭でつけたい、と思った。
私は以前、茂木さんも寄稿してるあるグラフ雑誌の悪口を書いた事があったのだけれど、一緒にゴッホの展覧会を見に行ったりした学生時代の友人が、一時期その編集部に勤めていて、編集長のモラハラで辞めてしまったのだった。今でもその編集長の書いているものを読むと、ある種の御用の痛ましさを感じるし、そういうものの裏返しのマッチョさに対してご苦労な事よね、と思う。そんな事も話す。