欠損

 一昨日の夕方くらいに、日記のタイトルを「もぎもぎ」にしようと思ったら早速茂木さんの日記にあだ名について書いてあったのでやめる事にします。
これ、詳しい人に聞きたいと思っているんだけど、チャーマーズクオリア理論って西海岸っぽいちょっと退廃したニューサイエンスとか悪魔主義みたいなものと関係ないんでしょうか。薬理について書かれたりしているのがそれっぽく感じられたのですが、、
それから、茂木さんは結局私の事を調べあげたりブログをぱくったりして、どうしたいんでしょうねと思う。そもそも変な主従関係じゃなく、普通に人間的なバランスのよい関係を保てる人なのかよくわからないのと、何か精神的に欠損しかねないようなテクノロジーを使ってるなら止めて下さいねと思う。たまたま出た先でブライアン?ウィルソンのフィルムを見てたのだけれど、やっぱりふっくらしてて、多分内分泌系が上手く機能していないからなんだと思うけれど、関節から動かすような身体アクションがぎこちない感じがした(私も被害受けてから、運動が出来ないストレスで似たような事になってて困ってます。小学生のころからお金払ってスポーツセンターに行ったりしてたのに、なんか着替えとかまでトレースされてたら気味悪いという気になってる)。心脳問題とか神経工学がらみの話でネガティブなのはそういう点なんじゃないかなぁ、という気がする。
 というよりは、疑似科学に滞留している科学者から関心を持たれている自分、というのをおぞましいものと
してしか思い浮かべられない。意識についての研究、というもの仮にあるとして、ラカンボロメオの結び目
カントの批判的な、異なった力がレシプロックに機能している領域をしっかり基底として構えておかないことには、
いろいろな意味でバランス感覚が揺らいでいくと思う(それほど悪くないバランスの揺らぎもあるにはあるだろう
けれど)。量子力学まみれの人は、そういうことどう捉えてるの? というぐらいトロい。何で人の意識を怪しげ
な技術で掘り下げて、それで溜飲が下がるような結論に達せると思えるのか。

 たまたま、「ブラック?ダリア」の話をしていて(まだ未見なのだけれど見たい気がしていて)、ニューサイエンスの退廃とかメディア内のドロドロした話もそれはそれで独特のものがあるのかもね、と思ったのだけれど、
日常生活の日常性に対して過剰すぎるしそれで意思喪失した次のディメンションというのが全然見えてこないん
だよね、と思う。はっと我に返ったとき、その次、が見えるような気がする。その場所に茂木さん的な価値観を
入れたくない。転移してこないでほしい。

 複雑系について、もうはるか昔に、イリヤ?プリコジンの本を一冊読んで
何がなんだか分からなかったのと、「カオスとフラクタル」という本をベタ
に読んだ記憶がある。(丁度、前回の日記に書いた記述ソフトを使っていた
時に、まだダイヤルアップ接続だったパソコンでフリーのフラクタル描画
ソフトをダウンロードして、よく遊んでいた。恐ろしくきれいなマンデルブロ
曲線が描けて楽しかったのだけれど、その時はそういうものがダイレクトに
自己にかかわって来るものとして捉えられるには場所的な条件とか、
もともとの資質も大きいだろうなぁ、と思っていた。
 http://www.urban.ne.jp/home/noda/program2/index.htm?http://www.urban.ne.jp/home/noda/program2/vb/mandel.html
 こんなソフトの、Macintoshバージョン。