言語情調論

本屋で折口信夫『言語情調論』を購入し、電車の中で読み切る。(ただ、ノートしないとしっかり意味が取れない部分が多い)。この論文の中で折口が書こうとしているのは言語の音律と結びついた情緒が、外界に対置される事で<意味を持つ>というのはどういう事か、という事で、言葉は相当に繊細に捉えられている(差異に基づいて配置されている)。例えば人間の脳の言語中枢で起きている出来事を、外側からスキャンする手法が発展したとして、外部展開されていない『原-言語』みたいなものをどうこう取り沙汰されても、社会関係上にプロットされた人間はその情動通りには動かない。それだけでなく、情動の束みたいなものが直接、普通に社会の中で作動している身体に働きかけてしまったら、ごく当たり前の初動がうまく働かなくなる訳で、そういう事を無理に(集団的に)強いること自体に、内破に結び付くような意味なんて孕まれない、、という話を、頭の中で上手く組み立てようとする。と同時に、「人間の言語中枢で起きている事を外部からスキャンする技術の濫用」が、突拍子ないものに聞こえないように説明するにはどうすればいいか、ちょっと考える。