こんなところ、、

「言語中枢で起きていることの解析」は、テクノロジーなしでも想定されてたし伝達もされてましたよね、などとお話ししつつ、出向いた先があまりにもアースダイバー的に凄いところだったのでびっくりする。龍の絵が天井に刻まれていた。私は霊感と言うものを信じていないし、「要らないです、、間に合ってます、、」の代表格なのだけれど、何か蒼古的な心像ってあるのかもしれないと一瞬思う(すぐに忘れる)。 ♪
「リビエール」を読み返してみる。要は年の若いシェフ見習いの男の子と何となく子供(家族)をつくってしまい、鳥とか龍のように自由ではなく生きている女の人が、その子供の来歴を疑う(その事が同時に、言語の混合性とかさなる)という話なのだけれど、こういうストーリーだけは過剰に持ち合わせがあることに、改めて呆れてしまう(一時期、神話そのものを出来るだけ今の景色の中で構成したい、と考えていた)。
それから、久しぶりに読む折口信夫インパクトが凄い(全然よい読者ではないのだけれど、『言語情調論』も含めて、人の感覚を究めようという努力は痛いくらいで、その分何らかの真理に触れている人の気がするのだった)。