bobbinsmall2009-01-03

時間が出来れば書きたいと思っているのだけれど、「リビエール」の続き。昔からひとつ気になっている事があり、それは日本語という言語の不確定性(内に象形文字である漢字と、かな文字が混在する事)の外傷性の高さ、みたいな事。ラカンであれば、日本語は混合性が高いため精神分析に適さない、去勢が成り立たないと言うかも知れないが、実際は何もかもが混在する故に先鋭化する感覚、ある種の神秘主義的な時間の捉え方があるのではないか、と思う(それを、ケータリングの店を開く事になった20代のコックさんと30代の女性の間に出来た女の子供の話の中に落とし込めれば、結構具体的な気がするのだった)。

一昨日はついパースを描く。ベッドの詳細図も。ランプも。