花壇に着く

ささくれた時間の流れの外側に、咲いている花があって、よく時間の流れを整えたり突き崩したりしていた。昼間はある意味、花の間にうまれる感情で、日の光が豊かでも夜と朝の間に掛かるものを、そう呼ぶ理由もない。私は存分、それがあるという事に気持ちを傾けたかった。と、花壇に着く。間に日の色がまんべんなく落ちている。

時間の感覚と景色の移動が、普通に書かれずものと心理が同化したり離れたりする地点から書かれる時、そんな書き方を自分の器質を元手にして長く行い続けると、何となくあやしい感じになるなと思う。でもその不明確さをもってしか乗り越えられないような、感覚の変容が外から強いられる事がある。そこで茂木さんの出番ですよ。(って書くと面白いくらい日記が似てるじゃないですか)。

年末に大笑いしたんだけど「脳はもっとあそんでくれる」っていうタイトルは凄いと思う。「あそんでくれると思って、洗脳した」って、小説でも映画でも面白いと思う。