エメラルドの帯

湯気の中に切り出してきてすぐのエメラルドの帯が縦横無尽に走っており、太いのも細いのもあるのだが、それが取り囲む湯気はトルソのかたちをしていて、なおかつ何かを絶え間なく、鉱物の性で捉えているのが解る。 薄墨色も欲しい。それがあれば夜、眩しくなく時間を過ごせる。 ♪
仕事場から帰る時にあれこれ考えていた事に、もう二年近く前にリビングデザインセンターOZONEの特設会場でやっていた、電磁波公害についての資料を、もう一度取りに行こう、というのがあった(多分OZONEに資料としてあるはず)。携帯の電磁波もそうだけれど、これが人災みたいになってかつイデオロギーが絡みだしたらどうなるか考えると心底ゾッとする。
昔女友達が柳宗理のスプーンを欲しいと言い、一緒にOZONEまで買いに行ったのだけれど、そういう感覚が「生活世界」の所在を示しているとすれば、それは別段科学知とか社会学に再認して貰わなくても普通の生活の中に在る事になる。
(フッサールが言うみたいな、カッコ入れを行っても自明性として残るような生活世界が、例外的に取り外されいる<男>の自意識とそういう自明性の相克を何で解消するか、というお話。それはそれでいいと思うのだけれど、その先が自分の蹴散らかした生活世界に対する全面拝跪という所が、生産的じゃないし悪趣味だよねぇと思うのだ)