焔の文学(書きかけ)

焔の文学を読みながら、とても幸福で、あるべき場所にあるべき本がある気がして、寝入ってしまう。この本に書かれているカフカは実際にカフカのいた場所を見てみたい、と思わせる何かがあって、そこにあるあどけなさと神秘主義の重圧は、目に焼き付けておけば生半可な精神論の侵攻では持っていかれない魂の仕組みをつくる気がする。
「われわれの堕落がわれわれの救いとして現れまたその逆に現れるユダヤ密教から来た古い考えは、芸術が知識の失敗したところに成功することが可能なわけをわれわれに理解させてくれる。つまり芸術は救いの道となるほど真実であるか、あまりに非現実的で障害に変わってしまうか、そのいずれかである。」
知識やエリート主義(その内実は殆んどが簡略化されたグノーシス主義みたいな語彙と、受肉に必要な様々な道具の見立てで成っている)というものをめぐる陰惨で垂直的なゲームは、多分このレシプロックな領域を見えなくさせる。けれど芸術に限らず人の気配のする場所には、必ずこんな救いのある言葉と感情が渦巻いているので、特に悲観することもない。単に偽装された科学主義が引導を渡した先に広がる、芸術なり、生活なりに特有の次元があって、感覚の機能の解明なんて一度も目論まないままに、現実をうまいこと切り回している。