電車

電車から外を眺めている時に活性化する、まだ少しも解決していない、という感じ。
見ているのは午前中に経済活動している都市部の景色がいちばん多いにせよ、こんなところばかりじゃないな、と思う(私は旅行が好きだけど旅慣れてないので、本質的にまるで違う場所は見たことがない。そういうところまでは出ていった事がない)。こんなところがいけない訳じゃなく、単にコントラストとかムラの事を考えると、何で人間だけが意識活動の中で外界を把持して、街なからしい景色と自然物とか、人の気配のするところとそうでないところとか、分けてるのか分からなくなる。
信仰もそうで自分の心理が包括されていると感じる神学のマトリクスと、異質な神学のマトリクスが幾つもあるだけのような気もする。(あまりそういう事考えるのに向いていないのだけど)。

季節感のある、広くない丘。小高い丸い、緑のボールを誰かが置き忘れていったような広がりの上に白い花が点々と落ちていて、みな花弁が柔らかく、露を孕んでいる。白い花なのにすぐさま感情に合わせて、別の色に変わりそうな気配、そこに魂があった。だから魂は丘の丸みなりに連なり、水気の多いあたりに出た時、天道虫を見つけては入り込めずに困り、斑の浮かんだ姿を花弁の端に捉える。それでも天道虫はもう飛び立つところなのだ。