お花見

もう桜が完全に咲いてるのね、と思う。適当なところに出掛けていってお花を見ながら一旦完全に思考停止しよう、と思う。桜もいいけど、桜の葉っぱと固いさくらんぼが凄く好き。葉桜の下あたり歩いている時が一番頭がまともに動く時期だなぁと思う。

「差異と反復」を読みながら、「フィッツジェラルドの私的な研究家であって何が悪いんだ」みたいな事を言ってたドゥルーズの事を考えてたのだった。リッツホテルと同じ大きさのダイヤモンドの話とか。街とか場所の記憶が頭のなかで異様に鮮明になったり、逆に喪われるというのは面白い現象で、たぶんその時に感じ取ってるもののボリュームと現実の街は似ても似つかないところがある。フィッツジェラルドは憧れの(というか、似たように感じてみたくなる)作家だけれど、同時にあまりないような、妙な契機を生きた人の気がしてた。

手紙箱は白いマーブル調の革を張った上から、銀で腐食させてあり、腐食のときの甘いにおいが中の手紙の文字を浸していた。だからある日に受け取った文面がそこにあるように感じられる。文字とか内容がそれの現実的な姿を写し取っていた。