意思と受動性

 『差異と反復』は、結構現象学(というか、フッサール)についてもよく整理されているパートが
ある本で、そういう意味でも読んでてすっきりするのだけれど、考えてまとめたことをパソコンに
入力した傍から変に言及されたらどうしよう、と思うことがあって、いまいち読み進められない。
そういう考え方も、(よくない意味で)モダンなものなのかもしれないけれど、15歳くらいで脳の
基底がしっかり固まって、自分が情報摂取する上でのコードみたいなものの整合性が取れてきたら、
あとは自分が無力であることとか、絶対に受動的な存在であることについての知識は過剰摂取される
ことがなくなるものだと思うのだけれど、そういう無力さが器質とかテクニカルな部分で戻ってきて
しまう、というのが結構困る、無駄な感じ(これは完全な「罠」というか、ごく普通に前向きに
生きてる人だったら、あんまりにも空疎で耐えられないような気がする)。
 時間が出来たら、ベルメールの「イマージュの解剖学」を読んでみようと思っている。