書物の不在

 電車の中で読み終わる。ブランショの書いていることがあんまりにもまともなので、
ちょっと感動してしまった。わたしは感動でぷるぷる震えていたと思う。ブランショ
やっぱりいいじゃないと思っていた。
                 ♪

 グラビアアイドル(・・・でもないし、たぶん決定的にまずいとこがあって手綱はずされて
ると思う)なんだけれど、この人、本当に可愛くないのだ。というより、悪いけど私の
方がいろんな意味でバランスが取れててマシだと思う。
 というより、要は田舎の人だから、自分の差異化のためなら何でもいいっていうタイプ
なんだろうなぁ、と思う。以前たまたま、友達がフリーズショップで働いてる、という
20代前半の女の人と、半日くらいお話しながら過ごしてたことがあるんだけれども、
可愛いシフォンのブラウスを着てて性格もよくて、でもよっぽど変な目に遭わされてない
限りそんなものだよね、と思った(アパレルとかで働いてる売り子さんもそうだけれど、
今普通に過ごしてる人のセンスとか外見がそこそこ以上によくなっているので、私だったら
コンプレックスまみれの訳わかんない芸人志願者なんて避けるけどなぁ、と思う。大体
外見と性格の両方がいいひとって、ちょっと中性的なところがあってその分うっとおしい
こと言わないし。けど田舎の人というか、何かの弾みで自己差異化と特に異性からの承認欲求
がイコールになっちゃった人って、本当に下らない奴が多いので、私はリアクションに困る
ことがある)。
 あと、この人は文章も標準よりかなり下手で、結構底の抜けた経験をしてきたんだろう
けれど、そのわりに何も感じたり考えたりしてないんだろうなぁ、と思う。
 以前出た人(マイナーアイドル)が自殺した映画を見て大激怒したことがあるのだけれど、
20代過ぎたあたりで多少なりとも潰しが利く(というか、普通の企業の面接ぐらい受けられる)
ようになってないとほんとに悲惨だという気がしてて、しかも90年代から2000年代の境目で
一旦そういう人たちは死んだり捕まったりしたじゃないと思う。何で死んだり捕まったり
したかといえば、やっぱりとろかったからだと思うし、気まずい人生の淘汰のされかたと
しては正当だなぁと感じる。何について書いてるかといえば、データハウス系の本みたいな
ものにかぶれる人(と、サブカル)についてなのだけれど。
 あとは左派の資金稼ぎ(にも本当はなっていないのだろうけれども)として、数人で持ち回り
で女性名を騙って、しかもまともな人間の生活感情を偽装してるけれど全編これパクリみたいな
ものは、文章のうまい下手ボリューム以前に論外で、中で書かされてる人がどれだけ寒い団体に
抑圧されてるか考えると気分が悪くなるのだけれど、そういう精神的傾向の人は本当に1990年代
前半から進歩してないよね、と思う。95年くらいに色々な事件だの災害だのが起きたせいで、
「大人になれ」とか「外部とか外在性を元に感覚を構築せよ」みたいな論調になったことが一瞬
あったけれども、その後そのことはきれいに忘れられたまま(科学主義も批評ももっと短絡的な
方法にシフトしたまま)10年過ぎたんだなぁと思う。別に大人になる必要もないけれど、感覚
主義とか美学とか政治哲学とか、要は人の感覚の支配のされかたについての問題提起を扱う分野までが
スカムカルチャーとかサブカル的な問題解消に左右(というか右往左往)させられなくてもいいじゃないと思うのだけ
れど。(前出のグラビアアイドルも相当にうざいけれど、左派持ち回り反体制ライターの
人も相当うざくて、何こいつというか、こんな出来のわるい教条文のどこに何かを変える可能性が
あるんだと思うことがある)
 
                    ♪

 こういうのも、ある種「書物の不在」だと思うのだけれど。
 
 
内田樹先生、、