ホフマンスタール詩集・おやすみ一日目の幸せ

 (昨日)職場で資料作成をしつつ、だらしないのごめんなさい! というか、この連休が明けたら
目が半開きだったりとろとろしたりしないようにしますからね・・・などと、内心色々な人に
謝る。あと、プライバシーについての感覚がまともな人で、たまたま目があった時私の
表情がどんよりしてたり、笑うタイミングが変だったりしたのを見ちゃった人、ほんと
すみません。素の自分が戻ってきたのでそういうことがないように出来ると思います。

                 ♪

 ようやく色々なことの整合性が取れてきているのか、ぜんぜん見なかった夢を見るようになる。
(夢を書き留めることにあんまり意味を感じないのだけれど)。家で過ごしている夢が多い。
 それに後押しされるように、これもまたぜんぜん動いて居なかった詩の言葉が戻ってくる。
 岩波文庫から出版されているホフマンスタールの詩集は単に詩を読みたくて買ったのだけれど、
「チャンドス卿の手紙」が入っていて、ほぼ10年ぶり位に読み直す(この本、今年の一月に出ている
のだ。昔読んだ「チャンドス卿の手紙」は、文芸新書から出ている短編集でたぶん1000円近くした
のだが、660円。買う人が居るから出版されるのよね、と思う。
 買いながら改めて、自分にとって本は高い買い物じゃない、と思う。まともな
情報量であればなおさらなのだけれど。でも疲れ果ててタクシーに乗っているときは、一回で
この本一冊分以上のお金を使っていることを思うと本当にぞっとしてくる。ほとんど内部
侵攻的にパクリでしか文章が書けず、それで表に出たまま干されもしないで、仮に干されたとしても
他の仕事に就ける程度の器用さもなく、しかも結構いい年の人たちは出版業界なりなんらかの学問
で人に何をもたらしているのか、そこに自己顕示欲以外の具体的な何かがあるのか、心底
不思議。商業出版物が全文検索できるようになった時、死ぬのはそういうものしか書けない人だろう、
という気がする。必要があって一般の企業の人が書いているブログを読むと、そういうものと
違ってなんてまともなんだろうと感じる)。
 「チャンドス卿の手紙」とポストモダンみたいな話はどちらでもよく、単に同時発生的に色んなことを
考えている人の話として、切実なものを感じながら読んだ(このお話も、絶対ウィーンに旅行したいと思わせた
もののひとつだった)。
                       ♪

 ブロンドの箒について

 それがあることには、華美さに傾く過剰な意味が一切こもらない。ただブロンドの箒で、掃くと人の
匂いがする。あんまり殺風景だし部屋から見える屋根は青で、私は一人きりなので掃除をする。ブロンド
の箒はもともとそうだったのかもしれないし、時間を掛けてそうなったのかもしれない。長い柄を部屋の
隅に小さく設えたロッカーから引き出して見ると、床面を撫ぜる毛が泡だっていた。床の上で人の肌の匂い
がする。目を瞑ったまま、窓の外に広がる青い屋根をどこまでも覗くことが出来た。