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たんすの奥にある薬袋
表からみたり裏に返したりする
厚みのある紙の上からでも
つかいものにならない 古い
目薬の気配がわかるようで
ゆっくりと首を曲げ視線を逃す
肩の上から空まで
青い中程から
道に落ちるまぶたの重み
考えは一瞬
時間が滴るような場所に生きてた
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仕事の途中に、まともな間接照明のプランを作るのにやっぱりVector Worksを使う
必要があるなぁ、と思う。(パソコンに長く向かってるのが嫌なのだけれど、使え
ば相応の効果があると分かるとそうも言ってられない)。
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抽象表現主義に限らず、背後に外傷的な連続性みたいなものを感じさせる表現に
対して、なんとなく抵抗を感じる。(このことについて突き詰めて考えてみたいと
思っているのだけれど、どうも私はもっと当たり前で、実感のある表現によく意味
を見出してるんじゃないか、としか分からない)。
つくづく思うのは、自分の心的構造とイマジナリーなもの(簡単に言うと空想的
な広がり)の近しさみたいなことで、そういうものの中で一瞬だけでも自分が永久
に生きるんじゃないか、という気がした時のことを、最近よく思い出す。
でも、そういう思い巡らしに離反するものとしての、ラカン的な認識とか、
「警察」や「芸能」について、色々と感じることがある。
(なんていうことばっかり考えていてもつまらないので、ちょっと浮つきながら
気に入ったカーディガンを着て外出)。
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以前詐欺師について書いたことがあるのだけれど、ここに来てほんと騙される
べきじゃないですよ、と思う(私は以前、汚く営業を掛けられたことがあるので
消費者センターに相談し、訳の分からないカルトのフロント企業の可能性がある、
と伝えたら、「その通りです」というお返事が返ってきた。別段自分が一銭も
お金を出したわけじゃないので構わないけれど)。
その詐欺師の取り扱っている製品は、市販のシステムでいくらでも賄うこと
が出来るし、下らない話を聞かされることによる時間のロスを無くすことが、
普通に生活感覚のある人にとっては幸せなはず。
自分も不可避にそうなってしまってる可能性があるのだけれど(それが半分
醒めた感じで認識されるから余計に苦痛なのだが)、その手の独善に苛まれている
人の話は、過度に回りくどいし、何となく「人間がヘン」としか言い様がない。
有り体に言って、たまたま夕飯に桜海老のご飯を炊いたのをわさびのお茶漬け
にして食べたのだけれど、その程度のことでも幾らでも実感と幸福感を味わえる
のが普通の人間なのだが、その詐欺師の詐欺にはまっていると、普段何でもなく
感じられるはずの感情のニュアンスが欠落していく感じで気持ちが悪い。
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やっと欲しかったピンヒールの靴を購入する(定価は高いと思う。例によって
結構安価に購入したのだけれど、華奢でバックルが好きなデザイン)。
「マインドコントロールの恐怖」をキモイと思いながら読んでいて、自律
神経早く整えないと・・と思わずに居られない。高いヒールの靴を履いて転んだら
どうしようと気にしていた。