マインドコントロールの恐怖

 途中で辛くなって読むのを中断する。
 なんかこざっぱりしない感じ。
(大学原理研的なもの、駅の手相見みたいなひとたちの垢抜けない感じが本当に苦手。
憎悪としか言えないような感情を覚える)。

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 竹中労「左右を斬る」「ルポライター事始」を立て続けに読了する。政体と芸能、宗派の癒着
に纏わる骨がらみの感覚という語彙は、別に突飛なものじゃないのだと感じる(自分が
基本的に軽くてやわな、市民的なまとまりに満ちた場所を愛していて、想像的な像を含んでそれが
ずっと回帰してくるのを感じる。90年代的な外傷アディクトとの連続性の中でdだけ、それこそ劇的な
変化なんて齎せないのに反権力みたいな語句を弄ぶのは、私には無理なことなのだ。状況はあまり
変わらないし、メディアと個人の位相はもっと妙になっているとしても。読みながらはじめにこんな風に
書いた人の自律と覚悟を感じ取る。それで、今複数で持ち回りで書かれている暴露文とか状況批評は、どこから
ソースを汲んでるのか)。
 それが色々な妙な事件(川田亜子さんの自殺とか)を引き起こしてるにも関わらず、深層に
触れることはまるで出来ないのか、その領域は語り残されたままになるのか、それが普通の労働の
領域に張り出したらどうなるのか・・・などと、立て続けに考える。
(それから、宗派の後ろ盾を基にして行われる情報改竄だの個人の感覚の走査は、科学の言葉とも
臨床を持っているある種の精神科医の方々の、注意深い誠実さともリンクしていないな、と)。

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