芽キャベツの栽培/ブログ盗作の被害届、告訴準備について

bobbinsmall2009-05-21

 3月4日の日記に書いた芽キャベツだが、関心を持つと栽培されるという慣習に従い、
小さい鉢に山盛り蒔かれているのを発見。(昨年の初めにはヒヤシンスがあったのにそれから何も育てられなかったので、分けてもらうことを約束)。
 この密度で蒔いてはいけないもので、しかも太い幹に小さいキャベツが鈴なりに
なるらしいので、今からどうなることかと楽しみ。(芽キャベツを栽培
した人のサイトを見ると、みんな一様に「あれは楽しかった、いい野菜だ」と書いて
いるので、その連帯感情だけを隠れた意識のつながりにして今年一年は持たせられる
だろうと思うのだった。写真を見るとキャー、って思うほど面白い感じでキャベツが
連なっており、この種が一袋50粒以上で200円程度って安いなぁ、と感じる)。

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 去年の7月8日の日記に、ある出版社の編集者さんに被害届を出した旨伝えたという
記事を書いたのだけれども(その時、私は正社員で同じ職種の勤務に当たっていた。
基本的に2005年から、短い派遣期間が何度かあるものの、建築業界で正規雇用の同じ仕事をしている)、直接
の理由は匿名掲示板で騙りによる書き込みをされたことと、個人情報(実名)を晒されてしまったことなのだった。出版社さんの系列からして、差別問題に絡んでいるとイヤだなという気がしたので、あくまでも口頭で被害を警察に報告したことを伝えるに留めたのだけれども。
 私は2ちゃんねるに書き込みをしたことは一度もなくて、それというのもそんなことをしても
仕事内容的に何の得にもならないからなのだけれど(警察では私自身のIPアドレスとかアクセス履歴は、警察になら調べられても構わない旨伝えている)、ネット犯罪課に照合を求めても書き込みの検証をしてくれないことに本当に困っている(それさえあれば書き込みをした人の身元が分かるだろうし、同時に私自身がまったくコミットしていないことも判明するだろうから)。
 気の進まないことではあるけれど、今後の自分のことを考えてみてもこれ以上巻き込まれている訳には行かないので、警察にブログを提出した人の剽窃箇所を自分のブログと細かくつき合わせて、
再度被害届を出しなおし、民事でも裁判を起こそうかな???と考えている。(本当は刑事事件に
したいと思っていて、それは表面的な書き込みだけでなく、明らかに生活に関わる部分でも侵犯を受けているからなのだけれど、「前日に漫画喫茶に行ってコピーを取ったら、そのことについて揶揄
するような文章が掲載されていた」とか、「インテリアについて調べ物をしたら、それを全くなぞるよう
な書き込みをされた」というのは、現時点では立証しにくいだろうと思う。本当はそれが一番問題で気分の悪いことなのだけれど。思考とか視覚の揺さぶりに関わる嫌がらせについても、ある種の利権団体との関わりにおいて完璧に説明できる)。

 明らかに文面を似せている部分があるし、マイナーだからか発言と素行の面での異常が放置されているということがあるので、そこをつつけばそれなりにこちらの立場が認められるとは思うのだけれども(パクリだと言明している箇所も何箇所もあるし)、それにしても身の回りの人に与える心証を思うと、ちょっといたたまれない(特にいくつかの職場で、何度か同僚に「○○さんコピーロボットが居るの?」とか「とんでもないね」とか
言われたことがあるので、尚更刑事事件に出来ないのが納得できないのだけれども)。ともかくこれを機に、下らなくて自分の意思で切り回せないものとか、痴漢だの覗きに関わった芸能人やら盗作でしかものを書けない作家を社会復帰させないような流れが作れるといいなぁと思っている(特に、女性の芸能人の同性への覗きや盗撮って、結構頻繁に行われてるような気がする。
某宗教が絡んでいる場合、私にとってはその宗教に入信しているというだけで穢れの意識でしか捉えられないのだけれど。
特に以前も書いたが、その系列の血を入れちゃいけない、という思いは強くて、これはいくら差別だと言われようと「ダメなものはダメ」という厳密な判断なのだった。私は大体演技性人格障害の人間が大嫌いなので、片親でも親が居るときそれが矯正できないのは、その人間の精神的な問題も大きいと思っている。整形と身売りのループとか、覚醒剤がらみの話も含めて、何となく汚ったない業界だなぁ、というか)。
 
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 清水由貴子さんの自殺の原因について触れられているサイトを見て、本当にロクでもない、という気がするのだった。
客観的に見てある種の団体の関与が明らかなのに、何で罰則の改定もなければ、告発も出来ないような仕組みになっているのか理解に苦しむ。
 フランスでセクト規制法が制定された流れと同様の流れが日本で作れない場合、どうにかまともで一般的な感情に訴えて被害を受けている人を救済できるといいと思うけれど、そんな中で裁判員制度の制定はちょっとホッとする、悪くない出来事のように思えた(宗教のうっとおしさとか性犯罪者の迷惑さ、才能のない作家に対する嫌悪感なんて
人の中であまり変わらないので、それがバランスよく表明できるようになれば状況がもっと変わるような気がする)。