(昨日)よく行くお店のオーナーさんと世間話をし、10年位で新しく出来たお店の事とか無くなった施設の事、再開発の話題になる。とても感じのいい方で、お店を改装される、という事だったのだけれど、そういう時自分のしている仕事の話をしそびれるのが、我ながら歯がゆい感じ(大体「インテリア」で検索した人がこのブログを見た時に、「自殺」「ストーカー」「精神分析」「ホフマンスタール」とか何とか目に入るのは気味悪いだろう、と思う。何かもっと役に立つ事を書きます、と言いたくなるような)。

「法の力」を読みながら、基本的に自分がものすごい死刑肯定論者である事に今さらながら気付き、裁判員制度の事も考え合わせると何となくやばいなぁと思うのだった(カントっぽい法の権利とか市民権みたいなものと個人主義が最優先される)。書き散らしている程子供が欲しいのかも、子供好きなのかもよく分からないのだけれども、意図的に幼児を殺した場合問答無用で死刑でいいじゃない、と思ってしまう。
カルト関係の本を読んでいていて嫌なのはあからさまな児童虐待の記述が延々出てくる事で、道徳的に許せないと言うよりは単に気分が悪くなる(よく民家で、治療をしないで病死した人のミイラが見つかったみたいな話出てくるけれど、あの嫌さ)。昔ドゥルーズを読んでいた時に、不謹慎だけれど分裂病的な在り方を予め自分の子供に内在させる、とかそういう行動化をする人が出てくるんじゃないか、と感じた事を今になって思い出す
(ここに来てどうにか国際法として、セクト規制法を機能させるべきなんじゃないかという事を考えていて、法の力をそんな考えと結び付けるとくっきりして来る事がある)。