暑いので半袖の衣類に衣替えし、あれこれ作業しながら同時に個人的に確認
しなければならないことを数え上げる。久しぶりに通りをゆっくり歩いていくつか
考えたこともあり、何となく色々なものに広がりを感じる。
                  ♪
 警察に話を持ち込みに行った日に、何故か入り口近くで警察官の一人に「語学
の勉強だろ」と言われたこと、雰囲気や流れから何かトレースされていることは
あり得ると思うのだけれど、個人的な買/売春(それも売名と宗教がらみの)に自
分の私生活が巻き込まれていることのほうが問題だし、ここまで客観的な証拠があれ
ば今度こそ動いてもらえるかもしれない、という気分になる(ここに書いている
せいもあるけれども「魚」とか「猫」とかそういう言葉でほのめかしをされている
可能性があり、ほのめかしが雨とか晴れとかに異様にこだわるのも、いかにも差別
問題系に思えて気持ち悪いのだった。糾弾行為の拡大解釈されたものがサブカルとか
出版関連のシステムの中にいきわたっていて、都度そういうものの力を借りて増強
することの上に意識の連続性が成り立っている人が居ることを考えると、やっぱり
薄ら寒いものがある。物理的には隔たりすぎているのに情報の流れや生活像みたいな
ものはひとりでに流通し、しかもそれが潜在化したままなのだ。先に書いた女の子
は、そのことがもっと先鋭化したかたちで被害に遭っていたと思う)。
 昼ごはんを買いに出て仕事場に戻る途中に、チラッと自己懲罰的な形式について
考える。無意識に取る行動がある連続性を保ったクラス(自分の自我とか、それを容
認するものとか、周囲の承認行為とか、最終的には国家とか)を損傷するように動く
ことの気まずさ、みたいなことだ。例えば自分に自殺衝動があるのに(勿論私には
そういう衝動は全くない)、直接の自殺行為をとらずに間接的に他者から手を
下してもらうような行動を取る場合(ここには象徴的な自殺行為も含まれる)。そういう
ケースはありふれていて、けれどあんまりにも自閉的であるか、倒錯的であるため、今ま
であまり批判の言葉の対象になることはなかった(自殺サイトのようなもので実際に殺人
が起きたときに話題に上がったことはあったにせよ)。うっとおしい問題なのだけれど、
自分の動きを縛っていたものとか、考えを押しとどめていたものが、そのあたりの出来事
なのかもしれない、と感じる。
 このことの差延をずっと辿っていくと、たぶん天皇ファシズム(使うのに留保のいる
言葉だけれど)とか、その擬制である色々な団体の自損行為の問題になる。出来れば
そういうものを踏まずに済ませたい、と思っている人のために、ちゃんと決着をつけよう
と思うのだった。

                  ♪
 ついつい興味本位で、痴漢行為のあげく地上波から干された芸能人のブログにアクセスしてしまって、
別にこの人は金輪際出てこなくてもいいじゃない、と思ってしまった(言い方は悪いけれど、人
というより珍獣みたいな感じ)。というより、いくら
裏のつながりみたいなものがあるとしても、やっぱり厳密にこれをやったからには正当な
ルートで売り出しさせられない、みたいな決まりごとがあるみたいで、そういう決まりごと
に対する個人の思惑も含めて、芸能界キモい、薄ら寒いところだなぁ、と感じる。