朝露、そのほか

 朝早くに目が覚めたので、色々と考え事をしながら窓を開けて空気の入れ替えを
する。梅雨まぢかな感じ。最近世間話している中でも梅雨の話が多い。靴とか着る
ものに気をつけないと、すぐ水の跳ね返りで汚れてしまう。家のものと話をしていて
何だか近年同じような(何かつながりのある)仕事をしてるんだなぁ、と思う。
(私だけがリアリティだの夢だの記憶だのについて余計な思考を走らせたせいで
変な目に遭ってしまい、全然まっとうな陸地みたいなところに居ない気がする。
正直な話心的構造とか、それにまつわる諸学とか、そんなものは普通に仕事して
帰ったあとの1.2時間のためにだけあったのじゃなかったか、半ば以上そういう
ものに固着させられて、間に生活者ぶることには意味がない、と思う。それに、そんな
ものを集団的に擁立する動きの中で、感覚は単純で粗大な感じになって、ますます
単なるよさとか具体物から離れていく気がする。気味悪いなぁ、と思う)。
 もらいもののベーグルを食べながらかちかちに凝っている肩をほぐす。資料を
まとめながらいらないものをゴミ箱に入れる。とにかく捨てる。捨てながら最近
頭に浮かんでいた「燃やす」ということについて考えていた。火を見てて気持ちが
高ぶるということは無いんだけれど、誰か(神(笑))がニューロンの発火だの炎
のような感情の高まりだのに意味を見出すんだったら、神が関与してる可能性のある
テクストだの聖なる新聞だのをばんばん燃やしてもいいじゃないか。と、ここまで考えて
何このエセ三島みたいな痛い考え、と思う。(私は火をつけることに意味を見出す神とは
無縁な感じで暮らしてます)。


 聖教新聞で焼いた焼き芋から目を閉じたイエス・キリストの偶像が
出てきて、あと延々何だか訳の分からない、変ないやげ物的な偶像が出てきて、そういう
ものの中で生きられる独特の階級意識と抑圧を解放するためにかり出されて来た「女神」が何故か
ウランバートルで娼婦をやる小説とかだったらたぶん一日一篇くらい書けるのだけれど、
そういうのが完全にどうでもよく思える。
 サブカルは固有名詞として知ってるだけでも気まずいというか、やっぱり不良債権でしかない
んじゃないかなぁ、と思った(お金なり能力なりがまわらないがゆえの問題行動は別段誰からも
望まれていないというか、無いなら無いで気分がよく生きられるもののような気がする)。