パスポートのケース

 オレンジ色のプラスチックでパスポートのケースを作る、というよく分からない夢を見る。
 (硬くて透き通っており、パスポートは黒いかたまりに見える。金色の菊の花も見えて
いるのだけれど、何だか普通のパスポートのそれらしい雰囲気とは違う感じ)。
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 電車の中でちょっとだけ眩暈がしたのだが、真っ当な健康状態を措定出来るようになっただけでも
自分はましなのではないか、と思う(最悪の時には、最悪の出来事の中でずるずる嫌がらせに沿わせて
自己確認しようとしており、何が悪いのかも考え切れていなかった)。少し落ち着いたら、ジムに通うか
どうにかしてしっかり基礎体力の建て直しをしたい。

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 象徴界的なものの欠落と強化について。
 ある種の男の人にとって、社会参入できてない(いわゆる会社員じゃない)とか、父親でないということが、
 自分の象徴界の弱さとして感得させられていて、そのことがつど他人のそれを疑似体験するような制度を
 要請している、ということがあると思う(別に宗教の名前を特定しても仕方なく、そういう擬制はたぶん
ありふれているし、どこの国にも大なり小なりかたちを変えて存続している)。
 再三書いている病気っぽい出来事は、そういう制度の中で、他人が象徴界(いわゆる「社会」)に接して
 いるインターフェイスを収奪することによって成り立っている(でも淡々と「インターフェイスの収奪」
とか書くのは間違っていて、それはすごく怖いし理不尽なことなのだ。例えば人とコミュニケーションをとらない
人間が、自分のそういう状態が苦痛なため、自分の身近な人間で普通に世渡りしている人間のコミュニケーションを
ずっと監視している、というケースを想定してみてほしい。何だかものすごくヘンだ、と思う。それをするから大向こう
の普通の生活感情が、いつまでも板についてこないんじゃないか、と思う)。
 私は男でも女でも、これをやる人のどうでもいいような昂ぶりが本当に苦手で、どこかおかしいんじゃないか、と
感じてしまう。ヘンな話、きれいな自転車を一台買いたくて3ヶ月間いくらかづつ貯金をし、その自転車を購入した、
とか、その手のどこにでもあるような事柄に、バーッと反応して「貯金した」「自転車買った」とか言い募りそうな。
これってそのまま創価学会がらみで自己決定した人のメンタリティのことなのだ。それはもはや、どんな偽装を
していても何となく気づく。
 この際懇願してもいいから(私が悪いわけではないので、本当は懇願する必要もないのだけれど)、自分の人生を
生きてください、と思う。今からでも遅くないので、重層的非決定(吉本隆明)みたいなモードにはまったあげく
他人の人生を追体験するみたいな行動にかまけてないで、自助努力してください。