「死の海を泳いで」を読み終わる。途中なぜかボーっとしていて、「ソンタグの娘さん、お母さんが
大好きだったんだ」と思う。この本を書いているのはソンタグの息子さん。(2004年頃に精神的に
あわただしくなければ、私は個人的にスーザン?ソンタグについての喪の感覚をもっと具体的に
味わっていただろうと思う。3月5日の日記に、ニューエイジ系のお店で電磁波対策のヘンなレメディ
を見つけた話を書いたが、よくも悪くも自分がそういう目に遭って、完全に持ってかれないで済んでいる
のは、意志とか精神的な領域について、頭抜けて具体的なことを書き残してくれた人のお陰でもある)。

「「例えば誰かが母にこう言ったとする。「私には感じられる、あなたは切り抜けられる」と。これは母の
ニューエイジ派の友人や、何かの神秘主義に傾いた友人たちが高等で、あるいはメールや手紙で言ったこと
だ。そういう時、母は怒ったように反応し、時には声を荒げることさえあった。「どうしてあなたにそんな
ことがわかるの?」(中略)
水晶を持ち寄り、これが幸運をもたらすといった友人は、可哀そうなことに怒鳴りつけられた。「わから
ないの? 運はこれと全然関係ないのよ!」」(「死の海を泳いで スーザン?ソンタグ 最後の日々」

 こういう記述を読むと、批評の本を通じてしか知らないソンタグのことがリアルに感じられる。神学的な
ものに慰撫されている人でも、それを命綱にしているひとでもなかったのだろう、という気がして。それで
シビアに現実的な考え方と生き方をしよう、とか思っていた時のことをありありと思い出す。色々なかたちで
摂取させられる神とか霊みたいなものについて、出来るところまでは即物的に考えよう。でもそのことが完全に
テクニカルな天罰の対象になるということもあるのだ。
 そうだとしても、なお解析しなければいけないということに変わりはない気がするのと、一体科学的な主観性
みたいなものはどこにあるんだろう、と思う。

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 その道についてはオーソリティーの方に、内装のアドバイスをもらって、ちょっと落ち着いて考える。だいじょぶ、だいじょぶ、いける、という感じでひとつずつ確認する。真っ当に仕事していくため、産業協会のプロフィールに写真を登録する準備と、どうにか内面を蝕む嫌がらせのケアと、普通の住空間のプライバシーを守る構成を結び付けられないか考える。

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 仕事をしている横浜市のいいところは、夜8時まで図書館が開いているというのがひとつで、そういう環境から色々なものをもらえたし、少なくとも田舎
で過ごす人にありがちな、暴力や嫌がらせのために人ひとり自滅しなければいけないという強迫感からは逃れられている。ストーカーの被害も、そんな目に
遭った場所によって感じられかたが違うだろうと思うけれど、公共の場所で自己補修するための具体的な情報にアクセス出来るよう環境が整うといいと思う。
 まずはそういう現象がある、ということを明確にフレーミングしなければいけないと思うのだけれど、50年代にアメリカで起きたような精神操作の
被害者は、何を通じて保障を受けたのか気になる。そういう事柄について、完全に中立な立場からアドバイスするような機関を作れないだろうか、と思う。

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 たまたま同僚と、プレゼンのソフトの話をしていたのだけれども(それは大抵、市販のものと1万円もしないような安価なシステムで作ることが
出来るし、やっぱりADOBEの画像処理系のソフトは性能がいい、という内容だった)、以前から詐欺師だと言っている営業の掛け方が汚いコンサル会社
の代表の書いていることが、その会話そのままであることにびっくりする。本当に私は何をされているんだろう。一瞬パニックになりそうな感じ。
その人たちが掲げているのは「幸福」というお題目だが、陰で個人情報の流用だの、プライバシーの侵害を行っているとしたら、本当に何の意味もないように思う。
 役に立つことか分からないけれど、外壁塗装のシミュレーションのソフトや、プレゼン用のシステムは幾らでも市販されていることを
ここに明示しておきたいと思う。そうでないと下らない汎用性の低い情報に騙されて、安く済むソフトに何十万もお金を払うことになるので。
 私はこの会社の代表の顔つきとか、存在感が大嫌いなのだ。胡散臭い、としか言いようがないのと、精神論の馬鹿馬鹿しさとで今思い出しても
ぞっとする。何がスイッチを入れたのかは分からないけれど、ずーっと個人的なことを把握されているので、消費者センターと警察に通報した。
カルトのフロント企業というか、やっていることは情報入手能力の低い人(まだ学校を出てすぐの人とか)を相手にした完全な水増し商売なのだ。
それでも自分の生活に関わらないのであれば、それはそれで活用しがいがあるのかもしれない。先に書いたように個人的な生活に干渉されるのは
耐え難いことでしかない。この団体は自己啓発セミナー的なもののつながりでもあるので、ものすごくうっとおしい。
 私だったら信用のおける大手メーカーか地域に関わりのある会社に、家の中の仕事全般を頼む。(会話をしていて思うのだけれど、
ミカドやINAXとか、そういういわゆる大手の会社さんの営業の人にはヘンな人は居ないし、自分の会社の商品が使われるとなると機能や適性に
ついて細かく説明をしてくれる。派遣社員として家のアフターメンテの事務をしていたので、結局そういうメーカーさんの善意によってお家が出来て
いる、という気がする)。
 あんまり偉そうにそれを言える立場ではないけれど、「手離れ」という言葉があって、色々と整合性を取ったお家がちゃんと施主の方のものとして
安定するまでのプロセスが、さばさばしていて納得のいくものであるようにしたい、と思っていて、感動したり家作りでの人生論とかは、それなりに
高名な建築家さん以外はあまり関係ないと思うし、手から離れたあとで施主の人が安心して生活できることが一番大事だと思うのだ(何をどれだけ
手伝ったかみたいなことは、私には書く事が出来ない)。
 例えば、私はルイス・バラガンが好きで、打ち合わせをしてプールと片持ちの階段がある、ダイニングが二つ付いた家を作ってもらえる
としたら、すごく感動するだろう(バラガンがそうしたように、ちょっと瞑想的に過ごせる気がする)。大げさな人間ドラマみたいなもの
とは関係のない感動や喜びがあるという事ぐらいは分かってほしいと思う。
 建築家の宮脇檀さんは、建築家だけれども基本的には一生賃貸の住まい暮らしであることに賛成だったというお話を読んだのだけれども、多分
そういうものだよね、と感じる(それでもいい、と思える何かがあれば、生活は生活らしいということ)。そういう観点からしたら、
家とか人の心理までを細かく把握した上で行動を決定させようというのは、なんとなくすごくさもしくて哀しい話に思える。そればかりか
そのことが当の生活像を完璧に損ない兼ねないということが、なぜこの哀しいカルトの人たちには分からないのか、今も不思議で仕方がない。
 分譲の集合住宅で過ごしてきたので、そういうところでもある種の楽しさと安定があることを感じているし、内装が普通のビニールクロス
でも、全員がシックハウス症候群になるわけじゃない、と思う(理想的には塗装の壁でタイル張りか、フローリングではない板張りの家がい
いと思うのだけれど)。無理に訳の分からないイデオロギーを教え込まれたりしているほうが、ビニールクロス張りの家で過ごすことより
よっぽど身体と心に悪い、と思う。

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 古谷利裕さんも含めて、「風の旅人」に寄稿している作家だのアーティストは、何らかの宗派的なバイアスが強いのだろうと
思う(文面だけ読んでも、単語が似てたり書いている内容が私の取り上げてることとかぶっていたりして、恐ろしく気持ちが悪い)。
 薄々最悪の存在として認識されている創価学会が、でもそれの力を借りないと出版利権が守れないものとして利用されている、とい
う現状のことを考えると、本当のことを書くために必要なのは本の体裁をとっていないもの、情報として流通するものを本として認識
するための方法だと感じる。それから、盗用とプライバシーの侵害については、一度はっきりとそれらの事柄についてのフレームをつくり
直して、人権侵害に値する部分にはそれなりの保障をすべきだと思う。私は禁治産者予備軍から生活を干渉されるために居るわけではない
し、そういう人たちの最悪な表現のことを考えると、絶対に正気を保ってまともに考えることをやめてはいけない、と思う。

 とりあえず今日も警察に行く予定なのだが、民事での裁判も費用がかかるだろうし、生活の建て直しをするためにはいくつか持ち出し
がいるなぁ、と思う。2005年から正規雇用で仕事をしているにも関わらず、多分社会学者だの生半な労働論が触れることの出来ないような
異常な出来事に付きまとわれている、と思うし、このことは宗教的なものに干渉される可能性のある場では、誰にでも共通して起こりうる
ことなのだろう、と思う。
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 家族が健在なので余計にそれを感じるのかもしれないけれど、巻き込まれたときに周りの人間までヘンな目に遭わされているケースを
考えると、本当にこういう出来事を法で縛れないというのはどういうことなのか、と思う。村上春樹の本がすぐにベストセラーになった
のは、多分マスコミの操作でも何でもなくて、逆差別とか宗教のような暴力的な磁場について、そこそこ以上に分かりたい人が多いから
だろう、という気がする。